先に風呂から上がっていたシゲが、携帯電話を弄りながら小さく笑っていた。 「何見てんの?」  大して興味もなかったけれど、割と珍しい類の笑みだったので惰性で尋ねてみる。す ると、シゲにしては邪気のない顔で、すんなり小さく発光するディスプレイを向けてき た。 「ん」 「なに……、え、」  そこに大々的に写っているのはどこからどう見ても自分だった。  水野は慌ててシルバーの携帯電話を自らの手にしようとするけれど、そこはやはりそ んなに甘くはないわけで。  アカンって、と笑いながら、シゲは終了ボタンを押して、あっという間に待ち受け画 面へ戻してしまった。そこまで機械に疎いわけでもないから、恐らく時間さえあればも う一度あの画面へ辿りつけはするだろうけれど、その時間を与えてくれる相手ではない ことも知っている。 「お前、それどうしたんだよ」  しかも、明らかにその場にシゲは居なかった時の写真のような気がする。後ろに写り 込んでいたのは、確か。 「アンダーの……しかも東日本の合宿……」  となれば、自ずと候補は限られてくる。まず疑うべき二人は一緒に写り込んでいたか ら違うとして。……そうなると、もうあとそんなことをしそうなのは一人くらいしかい ない。 「椎名だな?」 「いややわぁこの坊、そない推理力ばぁ鍛えてどないするん」 「いや、普通に考えればわかるだろ」  溜め息と共に吐きだすと、そらそやけど。と相変わらず笑っている。少しどころか多 大に癪だったので、やはり明日の朝にでも少し早く起きて削除してやろうかと思うけれ ど、待て待て送信主が椎名なら、どうせこのメールを消したところでデータの大元が生 きているから意味がない。  次に椎名と会うのはいつだったか真剣にスケジュールを思い出しながら、シゲが腰を おろしているベッドの端に座った。  それに気付いたシゲが、ぎし、とベッドの上げる悲鳴を気にもせずに近づいてくる。 おもむろに水野の肩に掛けっ放しになっているバスタオルを引っ掴んだかと思うと、少 し乱雑な仕草で水野の髪に残る水分を拭い始めた。  真理子に似て細く指通りのいい髪を、殊更にシゲは気に入っている。きっと、自分自 身のこれまた母親に似て黒く艶やかな黒髪を、ギスギスになるまで傷めつけたことが関 係していると考えるのはさすがにやりすぎだろうか。  そこまで的外れな推測ではないだろうと思う一方、単純にこの髪の持ち主が自分だか ら気に入ってくれていると良いなとも思う。 「いいよ、自分でやる」 「まぁまぁ、そう言わんと」 「お前にやらせると髪傷むからヤなんだよ」  心底からそう言うとピタリと動きを止めて、おとなしくバスタオルを水野に返した。 年を経るごとに聞きわけもよくなってきてなによりだ。  元々変に諦めは良かったけれど、簡単に諦めないと生き方を変えた中学の頃から、逆 にただの意地や虚勢を張ることは少なくなっていった。つまり、譲れるところはキチン と譲るようになったということだ。  例えばそれは、今のような。  水野の髪は綺麗だから触っていたいけれど、それを嫌がるようならすぐに止めるよう になった。未成年のころなら嫌がるのを気にも留めずに乾かし続けていたことだろう。  こんな小さなことでも随分変わったものだといっそ感心すらする。 「乾いたら触らせてやるから」  大概甘やかす言葉を告げると、シゲは苦笑しようとして失敗したような、奇妙な表情 をした。 「なんだよ?」 「いやぁ……、なんやもう坊とは呼べんようになったかなぁ思て」  なんだそれ、とドライヤーの弱で髪をゆっくりブローしながら問いかけると、そのわ ずかな風の音に掻き消されそうなくらい小さな声が届いた。 「俺がタツボンに甘やかされとるなんて、なぁ……」  やたら感慨深そうに言うので、馬鹿らしくなると同時に阿呆らしくもなる。 「今更何言ってんだ」  ドライヤーのスイッチを切って、今度こそシゲの隣へ腰掛けるべくベッドへ乗り上げ る。  本当に、今更の話だ。 「お前、今まで俺に甘えたことがないとでも思ってんの?」 「……う、」  声にならないような喉に詰まった音を発して、シゲは勘弁してくれと言わんばかりに 眉を寄せる。あれ、思ったよりコイツ可愛いんじゃないだろうか。 「中学のとき全般とかなぁ? 特に、トレセンで関西選抜に入ってた時が一番酷かった か? きっと分かってくれるだろうなんて考えで何にも言わずに敵に回って? 挙句帰 ってきたら「好きだ」とか一方的に告げたりして?」  ぐうの音も出ないといった風体で思わずベッドに顔を埋めた金髪の男を、実に愉快な 気持ちで眺めた。  全く、よくよく思い返してみれば、色んな仕打ちをされてきたものだ。けれど、結局 それに応えて十年も経つというのに未だに同じベッドの中で寝ようとしている、この現 実もまた事実なわけで。  お互いさまという奴なのだろう、要するに。 「シゲ」 「なん?」 「起きろよ」 「……今な、己の黒歴史が走馬灯のように脳内を駆け巡っとって」 「いいから起きろ」  傷んでいても太陽の下で綺麗に光る金髪を柔らかく引っ掴むと、覗き込むようにして 押し当てるだけのキスをした。 「キスができない」  その目が、珍しく幸せそうに煙った。写メールを見ていた時と同じ眼差しだった。 「……よし分かった。これから俺頑張るわ、せやからそれで情けない過去はチャラにし てや」 「一回のセックスごときでなかったことに出来るわけないだろ」 「ま、せやな。己の犯したことやから、一生背負ってかなアカンのやし」 「そうそう。大丈夫、どうせお前の恥ずかしい黒歴史なんて知ってんの俺くらいなもん だろ」 「お前に知られとるんがいっちゃん嫌なんやけどなぁ……」 ※写メ→水野と郭と杉原でお話し中/件名「浮気現場!」