08' 11,30の続きです。 ※R18※  チューハイの缶が2、3本転がっているダイニングキッチン兼リビングを、一歩も立ち 止まらずにスルーして、その奥にある水野の寝室まで雪崩れ込んだ。ぴったりくっついて いるせいで縺れる4本の足が、それでも離れようとはしないまま。  肩に、腰に、自分の持てる限界の、たった二本の手を回した。お互いの腕の中に居る人 間の感触が、他の他人ではありえないほどしっくりくることに、もう疑問すら覚えない。  ベッドの縁に水野を座らせると、シゲは着ていたジャケットをするりと肩を滑らせて脱 ぎ捨てた。皺になるからハンガーに掛けろ、だなんてもう言わない。若かった中学や高校 の時分には、そんなことをいちいち言っていたたけれど、ムードに欠けるだのなんだの、 シゲが興を殺がれたような眼をするので、だんだん言わなくなっていった。  もちろん、そうやって服の皺を注意することで、自分の中にある衝動の気を逸らしてい たのだけれど。きっと、シゲもそれを知ってはいたんだろう。でも、受け流すだけの器量 は持ち合わせていなかったのだ。 「……なぁ、ジャケット、」  気が向いて、数年ぶりに、声に出して言ってみた。 「なんやの、この頃言わんようになっとったのに」  マフラーも同じように首から抜き取ると、それもまた床に落とす。幾ら掃除はしている とはいえ、決してきれいな場所とは言い難い。  それきりなにも言わない水野の視線を辿って、シゲは小さく苦笑した。 「草晴寺の部屋より綺麗やろ」 「……まぁ、な」  二人の、いや、二人以外の世界においても、全ての始まりだったあの部屋。六畳で、壁 は薄くて、敷いてある畳はきっと何年も取り換えられていなくて。それでも、饐えた藺草 の匂いが鼻を掠めるあの部屋は、二人の特別な場所だった。 「っていうか、お前、風呂に入る気もないわけ?」  その指先が震えもしないほど凍っているのを知っている。もちろんシゲの体が冷え切っ ているのも心配だが、その指が自分の体を辿るのだから、水野の訴えはもっともだろう。 「……待てるん?」 「っ、」  とんでもない台詞を吐くな、と悪態を吐きかけて、けれど待てるかどうかを咄嗟に考え てしまった。脳内が錆びて、声が詰まる。  滅多に自分から進んで呑まないチューハイの意味を知られている以上、水野が今どうい う状態にあるかをシゲはきちんと把握している。誤魔化さなければならないくらい、疼い て仕方ないのだと。  しかし水野は、座っていたベッドからにわかに立ち上がって、床に落ちたジャケットと マフラーを拾い上げた。その二つは、外の気温をまだ繊維の中に含んでいて、ぎゅうっと 抱きしめてもなお冷たい。 「待ってる」 「……さよか。タツボンはその様子やと、もう風呂入っとるよな」 「うん。追い焚きするか?」  ええよ、とひらひら右手を振って、シゲは勝手に水野のタンスをあけ、常備してある自 分用のスウェットを取り出す。くるりと水野に背を向けて、洗面所へ歩き出した。  ……人のモンを、あないに抱きしめよってからに。    シゲが体が温まるまで湯船に浸かって出てくるまで、ざっと十五分といったところだろ うか。  戻った寝室にはエアコンが入れてあり、これならスウェットを脱いだとしてもすぐに風 邪をひくことはないだろうと思われた。  部屋の窓際に置かれた、一人暮らしにはそぐわないセミダブルベッドに、散らばった茶 髪が横たわっている。窓の方を向いて寝ているので、一瞬寝ているのかと思ったが、シゲ がドアを閉めた音にぴくりと肩が震えた。大丈夫、起きている。  まぁ大体にして、こんな状態で寝れるわけはないが。……お互いに。 「ええお湯やったー。ありがとさん」  ベッドまでの距離を数歩で埋めて、薄い左肩を手前に倒す。仰向けになった水野の下唇 を、歯で柔らかく甘噛みした。キスとも呼べない、じゃれつくだけの触れ合いに、お礼と これからすることへの承諾を得る。 「前触れもなんもなしか」  シゲの血の通った唇が水野のそれと十センチ離れてから、憮然とした表情を作って、水 野は自分の顔のすぐ横に置かれたシゲの右腕を掴んだ。甘噛みされている間に、しっかり と水野を組み敷いているその手腕にはもう驚かない。 「今のが前触れ」  右腕をそのままに、今度は上下の唇ともしっかり相手へ添わせた。すると、間髪入れず に水野の赤い舌がシゲの唇を叩いて、それを認識した瞬間、シゲは多少乱雑に水野の口内 へ押し入る。  それくらい許されるだろう。だって、こんなこと、滅多にしてこない。 「どないしたんタツボン、今日は随分ノリ気やな」  ちゅ、と最後にわざと音を立てて唇から離れると、水野の目を覗き込んだ。透明な水の 膜が、茶色の光彩を包んで、目尻が微かに赤い。 「……バカ、だから、お前が俺の、」  ああ、欲情しているときの、生物の目だ。 「そやったな」  ぶつ切りに吐き出された水野の訴えをきちんと拾って、シゲはできるだけ口を水野の耳 元へ持っていく。  息を吸って、低く、耳に吹き込むように。 「竜也」 「ぅ、」  脳髄を貫いた声に、途端に目を見開いて、その吐息から逃げようとするかのように首を 振った。  誕生日に、そうして名前を呼んだら、それが結構堪えたのだ、と泣きそうな顔をしなが ら呟いたのがつい先程の玄関先。まさか冗談とは思わなかったが、本当のことだとはっき りした。  すでにシゲの右足が割って入っている水野の足と足が、名前を呼ばれた瞬間、くっつこ うと微かに動いたから。  シゲの、口の端に浮かべた笑みを水野は見逃さない。感じてしまったことに目線を微か に伏せて、けれどやられっ放しでいるのは基本的に性に合わない、ので。 「……お前だって、人のこと笑ってられんのかよ」  先ほどすり合わせようとしたその左足を、前触れもなく持ちあげた。 「わ、ちょ、ま、」  まさにその左足を跨いで、今シゲは圧し掛かっているのであって。つまり、今、水野の 左足が触れているところは。 「……アホ。こないなことして、どうなっても知らんからな」 「バカ」  自分でも熱いと判る吐息混じりに低く呟けば、すぐに返事が聞こえてきた。バカ、なん て、今まで何回聞いてきたかしらないが、でも、この「バカ」は、こんなときにしか聞け ない特上品だ。  ――バカ、どうなってもいいから、こんなことしたんだよ。 「じゃあ遠慮なく」  言うが早いか、水野のスウェットを躊躇いなく捲りあげた。下半身同様、すっかり立ち 上がっているピンクの粒がシゲの舌を待っている。  頭上でなにか言葉にならない言葉を喚いている水野はとりあえず置いておいて、シゲは 左胸に唇を寄せる。右手は淀みなく右の胸へ伸びた。 「ぅん、あ、……っ」  抗議の声が喘ぐそれに掻き消えたのを確かめて、シゲは右手をするりと下のスウェット の中へ潜り込ませた。 「あっ、ちょ……っと、待って」 「俺にそう言っても意味ないて判っとるやろ?」  左胸から口を離さないまま喋らないでほしい。その唇の動き一つ一つまで全部辿ってし まえるのだから、……それとも、辿って欲しいのか。  水野がぼんやり頭の片隅でそんなことを考えている合間に、シゲの右手は水野自身を探 り当てて、そのまま脱がそうとまでしだしている。 「なぁ、っ、シゲも、」  片手一本で、水野を太腿まで剥いたところで、水野が願うような嫌がるような、微妙な 声色で確かな訴えを投げてきた。基本的に、自分だけが裸になるのを良しとしない。  初めて、この体に触れたときもそうだった。もう、遠い昔の話になったけれど。 「はいはい。……やったら、」  シゲはいったん水野の体から上半身を起こすと、自分の着ている上のスウェットに手を 掛けた。袖から腕を引き抜きながら、少しだけ意地悪をする。 「その下、自分で脱ぎ」 「……は?」 「やって、脱がしとる途中でそないな注文するんやもん」  いたって涼しい顔で言いきると、一瞬呆然と見つめられて、そのまた次の瞬間には、端 正な顔をこれでもかと赤くする水野を見れた。  さて、蹴りが飛んでくる前に片付けましょ。ちゅうか、蹴られたらシャレにならん。  幾度となく誓いを掛けた、黄金の左足。 「嘘や嘘。本気にせんといて」  自分の脱ぎかけていた上のスウェットを素早くベッドの下に落とすと、水野の太腿にわ だかまっていたズボンも下着もさっさと抜き取る。  空気に晒された水野のモノと、羞恥から握りしめられた拳が同じように震えているのが おかしかった。いや、当人にしてみたら笑いごとではないのだが。 「てめぇこの、……あー、どうしてコイツだったんだろう」 「え、この状況で疑問に思うんがそこ?」  訊くと、少し前までは不愉快そうに眉を寄せていたくせに、もうその表情は引っ込んで 代わりに透明な笑みが出てきた。ああ、微かに息を飲んだことを、どうか気付かれていま せんように。 「いいだろ、「どうしてコイツ“なん”だろう」じゃないんだから」  言われた意味がわからなくて、シゲは三秒かけて瞬きを一回したけれど、よくよく反芻 して理解した瞬間、大きく大きく溜め息をついた。  つまり、今、迷いはないということ。 「そらよかった」  溜め息と同時に脱力した勢いのまま、水野の天井へ首を向けているそれへ口を寄せた。 「っわ、ん、シゲ……っ」 「もう待ったなしやで」  むしろ、お互い体が出来上がりつつある状態で出会っておきながら、よくまぁ今まで会 話を続けていられたものだ。さすがに、言葉もなくがっつくような若さはもうないという ことだろうか。  悲しい考えに辿り着きそうになった思考回路を無理矢理引き戻して、行為に集中する。 もう耐えきれない、と先走りの滲んだ先端から裏筋まで、最上級の丁寧さで舐めた。 「くっ、……ふ、あ、あ、」  どうにか喉の奥で殺そうとしていた声も、シゲの口に頭から飲みこまれた瞬間に溢れだ す。 「あ、ぁ、んっ」  でも、そんなすぐに開放してやったりはしない。だって、今日は水野のほうが余裕のな い日。こんな日は、どうしておいた方がいいか、もう判っている。 「っ、あ、ん……シゲ……?」 「うわー、辛そうやなぁ」  なんでやめるの、と非難がましく目の前の男を見ても、細く自分を目に映す瞳が見返し てくるだけだ。ちょん、と右の人差し指が水野をつつくけれど、それだけでは達せない。 「だぁめ」  じゃあ自分で、と左手を伸ばせば、がしりと上からシゲの右手が降ってきて、そんな甘 い声を耳に吹き込まれた。 「や、」 「嫌やったら、どうするんやったっけ?」  これを、薄く笑ったあの顔で言われる方がまだマシだとさえ思った。そんな、優しい声 で、そんな酷いことを言われるくらいなら。 「ぅ……」 「言わんと辛いんはタツボンやで」  もう、こういうときは陥落させてやった方がいい。それが水野と自分のため。  水野はたっぷり三秒目を伏せて、夜の冷たい空気に溶かすように呟いた。大丈夫、聞い ているのは自分とシゲだけだ。 「……抜いて、」  でも、羞恥と欲望の混ざったその表情が、結構クるなんて教えてやらない。 「えー、こういうときって「イかせて」とか言うもんとちゃうん?」 「誰がそんなAVみたいなセリフ吐くか……ぅ、あっ、あ、」  ちょっとだけからかうように笑ったのは、せめてもの余裕だった。そのあとはもう、た だ要求に応じるのみ。だってこっちが耐えられない。 「待、あ、んっ……、やだ、」 「嫌ちゃうやろ」 「ば、喋んな……あ、ぁ、んぅ、っ」  とっくに押さえるのを止めていた水野の両腕が、シゲの髪を強く掻き混ぜた瞬間、水野 の腹筋がぎゅうっと縮んで、シゲの口の中が途端に苦くなった。 「――は、あ、」  その口で、自分の中指を舐める。息の整わない水野の後ろに手を回しても、もう怒られ たり文句を言われたりすることはない。  二ヶ月ご無沙汰だった水野の入り口は、それでも白濁の助けもあって、シゲの指一本な ら飲み込んでくれた。二本目の人差し指は、まず始めに弱いところを探り当てる。 「……ん、あっ、――っ」  強い刺激はそんなに好きではなくて、でもそれをしているのがシゲだというだけでもう いいかな、という気になる。そんな男は、音を立てずに水野の左膝にキスを落とした。 「……すまんな、」 「なに、が?」  痛い思いさすかも、と呟いた音は、少しだけ動物の声に似ていた。  ぺた、と押し当てられた熱が、絶対今入ってきたら痛いのに。まだ、2本しか入ってい ないのに。 「いい」  別に、お前に酷いことされるくらい。  エアコンの中で汗に濡れた前髪の隙間から、小さく笑ってみせた。シゲが、小さく息を 飲むのは今日2回目だ。 「ちょ、う……、っあ、」 「っ、息して、」  間髪入れずに押し入って、久しぶりの水野に脳が沸きそうだった。自分の入り込んだも のが、あの気高い男だという、そのことが嬉しい。  大丈夫、まだ保てる。でも、甲斐性も優しさも全部持って行かれそうになって、必死に 踏みとどまっていることを、きっと知られている。 「シゲ、」 「ちゃんと呼んで」 「成樹」 「うん」  何回姓が変わっても、これだけは自分のものだった。繋いで離さなかった、自分の絶対 を、お互いが判っている。そのたった三音を、どれだけ頑張って繋ぎ止めたか知っている。 「竜也」 「ん、」  奥まで埋めて、獣の匂いのする金髪が熱い息を吐く。そんな息を吐かせているのが自分 だということにまた勃った。 「動いて、ええ?」 「だめって言ったら?」  無理、と本当に短く笑ったその男と一秒のキスをして、そこからはシゲが何を言ったか も聞き取れなくなった。  けれど、酷いことしたいんとちゃう、ごめん、とそれだけは聞こえたから、達する寸前 の精悍な顔の目の前で、バカ、と笑ってやった。