本当は、とんでもなく嬉しかっただなんて、絶対言ってやらない。  その朝は、前触れもなく訪れた。いや、朝は毎日廻ってくるものなのだから、いちいち 前触れなんかあってたまるか、と思わないでもないが、まぁそれはさておき。  いつもと同じように夜が明けて、いつもと同じように鳥が鳴き出す。薄い、けれど有っ た方がマシというレベルの備え付けカーテンを引くと、梅雨の終わりでところどころに青 空も覗いていた。  しかし、そんないつもと同じような朝は、成樹が階下へ降りた瞬間、ものの見事に崩れ 去ったのだった。 「……なんやの、コレ」  普段なら、どう考えてもこれから朝のお務めをしようか、という時間である。それなの に。 「あ、おはよう」  眼鏡の柔和な下宿仲間に、爽やか且つ何も変わったことなどないように挨拶されて、 「おはようさん……」  条件反射で答えてから、慌てて関西出身の本領を発揮しにかかる。 「って、なんでこんな早うから朝飯の支度が整っとるん? しかもこんな豪華な」  普段の朝御飯は、まず魚とご飯と味噌汁とお新香くらいなものだ。忘れがちだが(主に 和尚と住人のせいで)、寺であることは間違いないので、肉が食卓に上がることはまずな い。まぁ、普通の家庭であっても、朝っぱらから肉が出るということはあまりないかもし れないが。  そんな朝御飯が常だったから、この食卓は更に異様に見えた。しかも、和洋中問わず、 成樹が好きなものばかり並んでいる。 「あ、んだよ、もう起きて来やがったのか?」 「もう、て。いつものお務めの時間やん。俺が降りて来ぃひんかったら、布団ひっくり返 してでも起こすくせに」  それはそれだ、と快活に笑うドレッドヘアを見ていると、ツッコミ続ける気が失せそう になる。何がそんなに楽しいのだろうか。  彼はそんな成樹に構うことなく、置いてあった大皿に持っていたフライパンの中身を盛 り付け始めた。 「……なんでオムライス?」 「え、お前嫌いだったっけ?」 「や、そないなことあらへんけど」  論点がことごとくズレている。成樹が訊きたいのは、あまりに違い過ぎる朝御飯の内容 と、どうしてお務めをしていないのか、主にその二つだ。探そうと思えば、他にもツッコ ミどころは満載だが。 「まぁまぁ、疑問はたくさんあるだろうけど、とりあえず座ってよ。でないと始まらない じゃない」 「始まらない……?」  一抹の不信感を抱きつつ、それでも成樹は、言われるままに指し示された座布団へ腰を 下ろした。  下ろした途端に気が付いた。 「ちょぉ待ち、この席上座やんか、」  反射的に立とうとした成樹を、やんわりとした手が押し留める。振り向くと、角刈りの 頭が覗き込んでいた。 「いいから! 今日はお前がそこの席なんだよ」 「は?」 「あれ? 間違いはないはずなんだけどなー。シゲ、今日が何の日か覚えてないの?」 「……」  いや、今日が何の日か、ということについてはもちろん認識している。カレンダーは一 応部屋に掛かっているし、第一そんなに忘れっぽい性質でもない。  問題は、この優しく厳しい下宿人たちに告げたことがあっただろうか、ということ。 「えっと、」  この人たちに教えたら、なんだか大仰に祝われる気がして、それが嫌だったから、言っ ていないはずなのに。  しかし、この状況を見る限り、彼らは知っている。 「うし、んじゃ始めるか!」 「せーの、」 「――っ、待った!!」  決定打を言おうとした彼らを、できる限りの大声で制した。  情報ソースを突き止めないことには、どうにも落ち着かなかったからだ。  というより、本当なら、ご馳走だけで十分だった。その先を言われると、多分自分の中 の何かが這い出てきそうな気がする。その前に、蓋をしなければ。 「なんでみんな知っとるん? 俺、言っとらんと思うんやけど」 「……心当たりないか?」 「や、まったく」  すると、三人は意味ありげに顔を見合わせて、少しだけ肩をすくめた。果ては、苦笑ま で浮かべながら。  けれどそれは、酷く優しい表情だった。 「シゲ」 「な、何」 「今日は黙って祝われてろよ。いいじゃねぇか、別に」 「誕生日、に間違いはないんだろ?」  その優しい顔で、宥めるように言われてしまうと、成樹としてもこれ以上抵抗するのは どうかと思ってしまう。確かに、間違いはない。 「まあ、誕生日は今日やけど」  十四歳になった。  けれど、それではきっと、何歳も年上の彼らに本当の意味で敵うことはないのだ。  もう少し歳をとったら、聞かせてもらおう。そのときは、そんな表情なんかに負けたり しない。きっとその頃には、こんな風に優しくしてもらうことにだって、慣れていると思 いたいから。  結局、蓋をするのは失敗に終わったけれど。 「んじゃ仕切りなおしだね」 「せーの、」 「「「誕生日おめでとう!!!」」」 「……おおきに」  自分は、上手く笑えているだろうか。  今、とんでもなく、嬉しいのに。千切れるくらい、嬉しいのに。 ※お務めは、彼ら三人がもっと早く起きてやってくれてます。どうして誕生日を知ってい るか、っていうのは……どうぞ08' 07,04をお読みください。  和尚は、とりあえず静観。夜、シゲが帰ってきたあたりで何か言うんじゃないでしょう か。……あ、これも書けってことかな。それとも来年にとっておくべき……?