※シゲ誕の前祝です。そのままシゲの誕生日編へと続いていきますので、しばしお 待ちください。  どうして、この子はこうなのだろうか。  どちらにせよ、自分たちに出来ることは、こうやって傍に居ることだけなのだと知って いるけれど。  夜中に、ふっと目が覚めた。  すうっと、水に潜っていた感覚が水面に浮上したような、少なくとも不快ではない目覚 めだ。温度というか、湿度の蒸し暑さのせいで、半袖Tシャツのところどころが汗で濡れ て気持ち悪い。  その気持ち悪さを感じると同時に、五月蝿いくらいの蛙の大合唱が、いきなり耳を震わ せる。むしろ、今まで寝れていたことのほうがびっくりするくらいだった。  まだぼうっと覚醒しない頭で、鼓膜を震わせる音の処理を始めたのが判る。出来ればこ のまままどろみの中へ戻ってしまいたいのだが、果たしてこの大合唱を認識してしまった 後でそれが可能かどうか。いや、無理だろう。そんな自信はない。  とりあえず、折角起きたのだからトイレにでも行こうかと廊下に出れば、階下ではまだ 煌々と明かりが付いているのが見えた。まったく、いくら同年代が集っているからといっ て、こんな夜中まで騒いでいていいのか。明日も朝も早くからお務めだろうに、と思った が、部屋の中に置き去りのデジタル時計をふと見れば、まだ日付を跨いだ辺りだった。  このくらいの時間なら、彼らが起きていても何の不思議もない。そもそも、宵っ張りの 人間ばかりなのだ、基本的に。シゲだって、今日のようにしっかり寝る日もあるけれど、 諸事情で夜更かしや完徹することも珍しくはなかった。  幾分、陽気な笑い声が響いてくる。何をやっているのか興味を惹かれて、気づけばシゲ は一階へと階段を下りていた。 「あれ、シゲ?」 「どうしたんだよ、今日は早く寝るっつってなかったか?」  そこは酒宴会場と化していた。  いつの間にそんなに買い込んだのかは知らないが、転がっている空き缶やビンから推測 するに、ビールに始まり、日本酒、焼酎、ウイスキー、――スタンダードな酒類は総なめ した、といった風情だった。  うげ、と眉をひそめたシゲを見て、慌ててフォローが入る。 「ちょっと待て、違うからな! これは檀家の差し入れとか余ってた去年のお歳暮とかだ から!」 「や、それでも、一応は和尚宛やろ? 勝手に飲んだらあかんのと違うん?」  あはは、といつもより何割増しもからからとした笑い声を上げて、優男の風体を持つ彼 は眼鏡を指で押し上げた。これは、大分、とは言わないが、そこそこ酔っている。 「勝手に、じゃないんだよ。和尚がね、とても一人じゃ呑み切れないからって分けてくれ たんだ」 「珍しいことにな。というわけで、まあお前も呑めよ」 「……というわけで、が出てくる流れが全く見えへんのやけど」  きちんとキメた朝のセットが崩れているドレッド頭を愉快気にいじりながら、満面の笑 みで進めてくる。この人たち、俺の年齢知っとるんかな、と少しだけ不審に思うが。 「ま、ほんならご一緒さしてもらいましょ」 「よっしゃ、そう来なきゃな!」 「お手柔らかにー」  そこはやはりシゲというかなんというか。タダで呑めるなら、呑まない法はなかった。  そもそも、日本列島をヒッチハイクで回っていたときに、酒なら多少呑んでいる。潰れ るほど呑んだことはなかったが(万一、誰かに何か盗まれるかもしれなかったからだ)、 同年代と比べてもそこそこいけるだろうと思っていた。 「で? 今日一番高い酒はどれやの?」 「おいおい……」 「だーめっ! まだちゃんとお酒の味が判ってないヤツにはあげません!」 「えー、」  いや、シゲの考え自体は合っている。確かに、彼はそこそこ呑めるだろう。“同年代” のなかでは。 「さぁて、潰しちゃったわけだけど」 「っていうか、コイツ多分、酒は結構呑めるんだろうけどさ」 「なんつーか、場数踏んでねぇから、自分のペースを知らないんだろうな」  酒宴は幕を閉じようとしている。今は、分担してほうぼうを片づけ終わったところだ。  酒の入っていた缶とビンをしっかり分別して、なおかつ肴類を始末しなければならなか った。今回は、多少酒より肴の方がはけが悪かったので、今三人は酔いを覚ますための烏 龍茶と共に肴を齧っている。渇いた喉に、お茶はよく沁みた。 「あーあー、こんな若いうちから髪の毛こんなにしてよー」 「お前に言われたくない、とか言いそうだよね、シゲは」  確かに、と苦笑しながら、眠っているシゲの頭を梳く手は止めない。自分のドレッドヘ アと、この横たわる十三歳の若造がしている金髪とでは、その髪型にした理由がまるで違 う。 「つーかさ、……シゲはいったいどれだけの嘘を吐いてるんだろうな」  角刈りにした頭で、シゲの眠り顔を覗き見る。普段の言動からついつい忘れがちだけれ ど、何のことはない、まだまだ顔の線が幼かった。頬を指でつつけば、ぷにぷにとやわら かくそれを撥ね返してくる。なんて可愛い。 「色々とねー。まあ、確かに僕らだって、お互いに言ってないことってのはあるだろうけ ど」 「う……そりゃまあ。でも、こっちはもう大人だしな?」 「けど、こいつまだ十三だろ? ったく、どうして」 「はいはい、余計な詮索しないのー。そりゃあ、知りたくないわけじゃないけどさ。シゲ が、こうなっちゃった理由とか、ね」  あたりめを犬歯でぶちぶちと切りながら、口調はあくまでも優しく。けれど、少しだけ 不満そうに。  こうやって、本人に見えないところで心配するのだ。正面切って向かっていっても、シ ゲ相手では上手くはぐらかされてしまう。もちろん、はぐらかされないようにすることだ って出来るのだけれど(数年先を歩いているということはそういうことだ)、敢えてそれ はしない。やってしまったら最後、きっとこの坊やは、頑なに口と心を閉ざしてしまうだ ろう。 「まったく、手の掛かるこった」 「おーい。俺らは親じゃねぇんだからな? 兄貴でいいんだよ、兄貴で。そういうことは 、和尚がするだろ」 「まあ、そうだろうね。あの和尚が、シゲをこのまま放っておくわけはないし」  会話が、ふと途切れた。遠くに、今まで聞こえてこなかった蛙の大合唱を聞く。  たった三人だけの、後夜祭。後夜祭だから、眠っているシゲは勘定に入れてやらない。 「あ、でもさ。アレは本当だと思うな」 「アレ、って何」  くいっと烏龍茶を飲み込んで、眼鏡をするりと取った。 「誕生日。多分、本当の日にち言ったと思うよ」  着ていた服の裾で、レンズを拭う。酒のせいで、肌が少し油っぽくなっているせいか、 眼鏡がうっすら曇っていた。 「どうして、そう思うんだよ」 「ん? だって、「お母んが毎年、どんなに忙しゅうても祝ってくれた」って言ってたじ ゃない?」 「あ、あーはいはい、そういうことか」  納得した、という声を出した短髪の彼を、訝しげな目線でもう一人が訊いた。 「は? どういうことだよ」 「あのなー。じゃあ、お前はシゲが親の話をしたの聞いたことあるか?」  訊かれて、初めはぽかんとしていたが、その意味するところを次第に察したらしく、彼 のドレッドまでもが萎れていくような気さえした。 「なるほど、親の話、か。それを出したんなら、嘘じゃねぇ、ってことな」 「そう思うよ。まぁ、酔った勢いも大いにあると思うけどね」  さて、来る七月八日を、どうやって祝おうか。  ――祝わない、という選択肢は、もちろんない。