ただの紙だと言ってしまえばそれまでだけれど。  久しぶりに、天城が遊びに来た。 「よう。調子はどうだ?」 「あ、天城! いらっしゃい。調子は……まぁ、頑張ってるよ」 「そうか」  フォローも何も言わないけれど、それが嬉しい。  快晴が広がっているここドイツの五月。日本より少し湿気が少ないことを除けば、同じ ように緑の芽吹く季節だ。  主要な手術自体は半年以上前に終わっているが、後続の小さな手術やリハビリを続けな ければならない。それでも大分ドイツの暮らしには慣れて来たようで、辛い日もあるが、 どうにか持ち前のポジティブさで乗り切っている。  そんな風祭を、何も言わず見守ってくれる人々が居る。それがどんなに幸せなことか、 もちろん彼は知っていた。 「私も来てるのよ、将! 女の子を放っておくなんて」 「わ、ごめん! こんにちは、イリオン」  笑い掛けると、母親によく似た整った顔をほころばせた。そして、スカートの裾を少し 持ち上げて、宮廷貴族よろしくお辞儀をする。その姿が妙に堂に入っているのが可笑しく もあり、可愛くもあり。 「また大きくなったね」 「そうよ。そのうち将なんか抜いちゃうから!」  え、と一瞬返答に詰まった。思わず天城を見上げると、彼も同じような表情を浮かべて いる。成長を喜ぶ一方、身長を抜かれるのはどうにも男の沽券に関わる。手放しで頑張れ 、とは言えなかったが、かといって何と返答すればいいのか。 「こら、将! いつまでお客様を玄関に突っ立たせておく気だよ。さあ、上がって」  柔らかなテノールがその場を救った。功が奥のキッチンから顔を覗かせたのだ。それの 証拠に、先ほどから辺りには美味しそうな香りが漂っている。 「あ、お邪魔します」 「しまーす」 「こら、人の言葉を使うな」  本気で怒っているつもりなのだろうが、どうにも妹には甘いらしく、いまいち真剣さが 伝わってこない。対するイリオンの方も、この程度では兄の本気を引き出すことはないと 判っている。  リビングに入ると、ますます食欲をそそる香りが強くなる。 「うわあ、美味しそう! これ全部功さんの手作りなの?」 「そうだよ。天城にはいいかもしれないけど、問題はイリオンの口に合うかどうかかな」  功が運んできた料理は、確かに感嘆に値するものだった。散らし寿司、ラザニア風のペ ンネ、鶏肉のレモンバター炒めから、ドイツ風の誕生日ケーキであるツップクーヘンまで ある。国籍など関係ない、まるでごった煮のような取り合わせだった。  けれど、そのどれもが功によって作られたということを考慮すると話は違ってくる。第 一、ただでさえ料理の好きだった人間が、一時期ホストをやっていたため多少のブランク はあれど、今ドイツに来てある程度まとまった時間が取れる以上、その腕を上げているの は当然といえた。  実際、ずっと一緒に暮らしていた将でさえ、近頃の彼の作る料理は渡独前とは大違いだ と感じるのだ。これで、天城やイリオンにとってどうして口に合わないことがあろうか。 「なに言ってるの、功兄。大丈夫だよ」 「そうよ、遠慮はいいから、早く食べさせて!」  ブロンドをふわふわさせながら、早速イリオンは食卓に座った。功も、全ての料理を配 置し終える。天城は、持ってきたジュースをそれぞれのグラスに注いだ。将は、みんなを 見回して、グラスを取る。 「じゃあ、いいかな」  功が、口火を切った。 「将、誕生日おめでとう!」 「あ、将」 「なに? テーブルなら拭いてきたけど」  饗宴は終わって、時刻は八時を回っていた。ドイツの夜は本当ならこれからだが、まだ 小さいイリオンがいる以上、あまり遅くまでは引き止められない。 「あ、ありがとう。そうじゃなくて、手紙が来てたぞ」 「手紙?」  そう、と頷いて、功は功自身のデスクを指差した。そこには、エアメールであることを 示す赤と青と白の斜線の入った封筒が置かれている。今朝見たときには、なかったような 気がするが。 「実はな、昨日届いてたんだけど、やっぱり今日見たほうが良いんじゃないかと思ってさ」  今日見たほうが。ということは。 「だ、誰から?」 「見ればいいだろ、将宛なんだし」  がっ、とその手紙を引っ掴んで、自室へ戻る。裏返して、その名前を見た。  幸せと同時に、涙も押し寄せてきた。 ※水野名義で、みんなからの一文ずつコメントが書いてあったらいい、な。