……だからさ、僕が他人の誕生日を覚えているのは当たり前なんだよ。なんせ天才・椎 名翼だから。  だけど。 先程から、不機嫌……いや、どちらかというと不可解だ、という表情を隠そうともせず に、本日の主役は彼らを見上げている。 「なあ椎名、お前は俺らをなんだと思ってるんだ?」 「人の誕生日を覚えるくらいの容量は残ってんぞ」  U−19のディフェンダー陣が集まっている。今は休憩中で、その集まりを咎める人は 居ない。  こうなると、いくら中学生の頃から身長が伸びたとは言え、彼がその円に飲み込まれて しまうのも仕方ないだろう。何せ、やたら上背のある人間ばかりなのだから。 「なんちゃ、椎名今日が誕生日なんか?」 「そ。さて、知らなかった奴にまで広まったことだし、流石のアンタも観念するだろ?」  椎名と知り合った日の長さでは最古参の一人、黒川が唇の端を吊り上げて笑った。  しかし、笑い掛けられた当人は、正直笑い事ではない。うぐ、と擬音が付きそうなほど 顎を引いて、けれど見つめる瞳は決して逸らさなかった。  なんだか、誇り高い猛獣(ライオンとかトラとか)を相手に、理不尽な要求を迫ってい るような一抹の罪悪感すら覚えるが、こちらはただ誕生日を祝わせろと言っただけだ。  どうせだったらサプライズにしてやったらどうかという声も聞こえてきそうなものだが、 数年前やったら、本人は嬉しかった癖に怒っている振りをし続けた。後で聞いたら、「恥 ずかしい上に、突然だと心の準備が出来なくて嫌だ」とのことだ。全く、変に捻くれてい る。他人に自分の下手な素振りを見せるのが気に食わないのだろう。  そのような教訓も踏まえ、今年はある意味での正攻法でいってみようか、ということに なった。ちょうど練習日だったこともあり、グラウンドの端で「誕生日を祝わせろ」と言 ってみたのだ。  ……結果としては、これも充分サプライズになってしまったようだが。 「具体的に、祝うって何するつもりだよ」 「いや、普通に飯奢るくらいで終わりだと思うぜ?」 「それなら何もこんなところで切り出さなくても良くないか?」 「だって飯屋行って、俺らがいきなり奢るって言ったら、アンタ怒りそうだし。何か前触 れが欲しいっつったのはそっちだろ」  明晰な頭脳は、確かに数年前にそう言ったことを覚えていたらしい。ぎり、と奥歯を噛 み締める音が微かに聞こえて、しかし前触れとはそういうことではない、と言い募ろうと したとき。 「休憩終了ー!!」  鋭いホイッスルの音がグラウンドの反対側から飛んで来て、その話はいったん流れたか に見えた。  結論から言ってしまうと、次の休憩時間には、椎名の誕生日はチーム内全員の知るとこ ろとなる。  高山がポジションの近い若菜へ告げ、それが仲良し三人組に自然と広まり、そのうちの フォワードである真田が、同じくフォワードの藤代に口を滑らせ。  すべてのポジションに最低一人その事実を知る者がいる、という状況では、全員にまで 話が回るのに時間は掛からなかった。ちなみにゴールキーパーはディフェンダーの話を漏 れ聞けば充分だろう。 「なあ、これは何の罰ゲームだ?」  普段なら、元凶である黒川なり、広めてしまった高山なりを得意のマシンガントークで 打ちのめしているところだが、あいにく今回は、みんなただ椎名を祝おうとしているだけ なので、怒るに怒れない。むしろ、むやみに怒りにいけば、「照れるなよー」とかなんと か言われて、返り討ちに遭うだけである。  しかし、ここまで広がったのは、黒川にとっても誤算だった。 「悪い、まさかこうなるとは思わなかったんだよ。やっぱり高山がまずかったか」 「その通りだね。ま、それはこれから反省してもらうとして……。どうすんの、こいつら」  練習が終わったら、どこかへ食べに行こう、という話に纏まりかけている。だが、これ だけの人数を、しかも食べ盛りの青年どもを、収容できるほど大きな店はこの近辺にはな かったはずだ。 「……俺は、せいぜいディフェンダーの奴らと、くらいにしか考えてなかった」 「だろうね。んー、あ、そうだ。――ねぇ、玲!」  と、そこを通りがかった美女に話を振る。いや、正確には視界に彼女が入ったからこそ、 何かを思いついた、という雰囲気だった。 「監督、でしょ? まだ練習中よ」 「あー、監督! あのさ、相談というか、頼みがあるんだけど」  足を止めた西園寺に、手短に今の状況を説明する。つまり、色々あって、ご飯を食べに 行きたいが、こいつらを収容できるところがない、と。 「で、練習終わったら、デリバリーとか頼んでも平気?」  そうか。食べに行けないのであれば、食べ物のほうからこちらへ来てもらえばいいのだ 。まったく、本当に便利な世の中である。  黒川は思わず感心したように手を打った。 「なに感心してんだよ。本当なら、発案者のお前が考えないといけないことだったんだか らな?」  不機嫌そうな、呆れたような、そんな声が下から這い上がってきた。それでも、その頭 の回転の速さには本当に感心したのだから、別に痛くもなんともない。 「へいへい。ありがとーございました」  黒川の棒読みの台詞を、椎名は鼻で笑って返した。けれど、それが本心からでないこと くらい、少し椎名と付き合いがあれば誰でも判る。  それに、本人に自覚があるかどうかは知らないが、デリバリーのお伺いを立てたという ことは、みんなに祝われることを了承したも同じなのだ。本当に嫌なら、まずご飯を一緒 に食べよう、というところから否定しているはずなのである。 「そうね、合宿は明後日までだし、他に使ってる団体もいないから大丈夫だと思うわよ。 またあとで訊いてくるわ」 「サンキュ、あき――監督」  わざわざ言い直した椎名に微笑み返して、西園寺は踵を返した。遠ざかっていく背中は ピンと伸びていて、このプライド高いディフェンダーと、はとこだと言われても自然と納 得できる。 「これで大丈夫だろ。玲ならどうにかしてくるだろうし」 「だな」  ふいに、くるりと緑がかった黒髪を揺らして、椎名はフィールドへ向き直った。という より、どちらかというと、黒川と向き合うのをやめたという感じか。視線はまっすぐ前に 固定して、わざとぶれないように睨み付けているようでさえあった。 「来年からは、もっとまともな祝い方にしろよ。もうこんなのは御免だからな」  練習終了後、みんなから水のように浴びせられるであろう祝いの言葉に、いかに自分ら しく振舞おうかと考えているのが手に取るように判った。嬉しさを素直に態度に出すのは 苦手であるからこそ、心構えが必要なのだろう。 「はいはい。……あ、じゃあついでだから今言っとくか?」  せめて、黒川くらいの付き合いがある人間には、素直さの欠片でも見せて欲しいと思う 。なら、今のうちに伝えておくのも一興だ。 「誕生日おめでとう、翼」  体の向きから視線から、何も向き合っていなかったけれど、その言葉はしっかり椎名の 鼓膜に響いた。普段と、何も変わらないトーンで告げられたことに、黒川らしさも同時に 感じながら。 「どうも? 早めに言ったからって僕の反応はあいにく変わらないけどね」  けれど、捻くれた口調で言ったところで、どうせ黒川あたりにはばれてしまうのだ。  本当は、とても嬉しいことなんて。  そのあとで行われた宴会(もはやそう呼ぶのがふさわしいだろう)で、初めは”椎名の 誕生会”だったのが、時間の経過とともに”とりあえず食べて騒ぐこと”に主旨が切り替 わっていった。予想通りの展開でもある。 「……なあ、やっぱりこれは罰ゲームじゃないのか?」  一緒になって騒ぐタイプではない椎名は、部屋の隅のほうで手近にあった茶を啜った。 「ま、たまにはこういうのも良いんじゃねぇの? ……嬉しかっただろ?」 「別に!」  膝に顔を埋めたところで、笑んだ口元と弾んだ声を誤魔化せるとでも思ってんのかね、 この人は。