学年で一番最後。  だからといって、何がどうなるわけでもないのだけれど。でも、この日に生まれて、こ の学年で居られて、本当によかったと思っている。  あの二人を最初に気にかけたのだって、学年が同じでよく見かけたからだ。  コーチの吹いたホイッスルで、今日の練習が終わった。  気象予報士が必死になって予想した桜の開花予想はおおむね当たって、晴天を背景に堂 々と咲き誇っている。時刻は12時半、太陽は高く昇り、いっそ春を通り越したのではな いかと思うほどの気温を叩き出していた。これからまだまだ暑くなるだろう。 「はい、お疲れ! ドリンクまだもらってない人ー?」  そんな中だって、もちろん桜上水中の練習に手が抜かれることはない。けれど、今日は このあとの天気予報も加味して、午前の練習で終わりだ。 「あ、小島、俺にもくれ」 「あれ、さっきあげなかったっけ?」 「……シゲに取られた」  憮然として、端正な顔を歪めた水野に、 「いつものことやん。今更そんな顔すなや」  これまたいつものように、更なる追い討ちがかかる。 「ッ誰のせいだと思ってんだ!」 「はいはい、ストップ。シゲもいい加減にしないと追加ドリンクあげないよ」  小島がそう言って背を向けると、途端にシゲは「んな殺生な!」とかなんとか叫んで後 を追ってきた。そして、小島の隣へ並ぶと、片手に持っていた給水機をひょいっと持ち上 げて、そのまま隣を歩く。 「……そうやって、水野にももっと優しくしてあげればいいのに」 「その前に小島ちゃん、言うことあるんとちゃう?」  彼女の目線よりだいぶ高いところに、キラキラした金髪が踊っている。 「……ありがとーございます」 「よお言えました」 「なによそれ。人を子ども扱いして」  追加のドリンクを作るために、一回給水機を洗うので、水場へと急ぐ。すたすたと歩調 を速めた小島に、シゲは歩幅を調節するだけで付いてきた。ことあるごとに思うが、本当 に身体能力の高い男だ。 「そやけど、俺、実際小島ちゃんより一年以上年上やしな」 「そりゃあそうかもしれないけど」  おまけに、一瞬も同じ年にさえならない。 「だからって今のは酷いわ」 「んー、せやな。悪かったわ、堪忍して」  洗い終わった給水機にスポーツドリンクの粉末と水と氷を入れる。  その手順が一瞬頭からとんだ。 「……なんか、変に素直になったわね。やっぱり、福島でいろいろやって骨身に沁みた?」  概要は水野から聞き出したけれど、でも、きっと肝心なことは言ってくれていない。感 情を込めない、客観的な事実でさえ、聞き出すのは容易ではなかったから。  だから、いろいろ、のところを強調して言ってみた。 「ま、そこらへんはお好きに想像してもろてええよ」 「そう。……じゃあ、水野にあんな態度を取るのをやめないのも?」  きょと、と目を見開く擬音が聞こえたような気がした。彼にしては、本当に珍しいこと だ。今に、こんな素直な反応を返すことが、この人の普通になればいい。  水野とはまた別の意味で整った顔を、少し崩した。 「小島ちゃんにはかなわんな。――今は、タツボンの方で色んなことにケリつけとる最中 やから。俺もそうやし。ま、向こうの反応待ちや」 「あんたが大人しく待ってるなんて。ちょっとしか知らないけど、よっぽどのことをやっ たのね、シゲ」 「んー。おいそれと前みたいにふざけあえるようにはならへんやろな。カザのこともある し」  だから、水野にはせめてゆっくり考えてほしくて、いつものように振舞うのだ。Jヴィ レッジへ行く前の、何も知らなかった頃と同じように。  まったく、それはシゲなりの、最大限の優しさなのだった。 「さ、スポドリできたやろ。持ってくで」 「……ねぇ、シゲ」  風祭の名で淀んだ空気を一掃するように、ことさら明るい声を出したシゲを、小さな声 で呼び止めた。  訊いていいのか、訊いてはいけないのか。けれど、浮かんだ疑問は、振り払えない。 「一番、水野に言いたいことは、言ったの?」  すうっ、と気圧が一気に下がったような気がした。耳鳴りさえしそうな中で、金色の目 が細く眇められる。  ああ、でももう訊いてしまった。 「だって、私はあんたたちのことずっと見てた。シゲも、水野も、目が離せなくて、放っ ておけないカンジだったから」  ならば、いっそこのまま終わりまで。 「だから、きっと、二人で幸せに、」 「その先は言うたらあかん」  きつく、強く、静かな言葉だった。  傍若無人なように見えて、こんなことを言ったりする人間ではないのに。言わせてしま った。それほどのことを、今彼女は口にしたのだ。  もっと強く怒られることを、飲み込むように覚悟した矢先。 「……ありがとな、小島ちゃん」  降ってきた言葉は、思いもかけない柔らかな色をしていた。 「心配してくれとったんやんな。――おわ、どしたん?」 「水野の方で色んなことにケリをつけてる、って、風祭のことだけじゃないんでしょ?  そういうことなのね?」  応えは、一滴、水面に波紋が広がったように、凪いだ笑みを浮かべることで返された。  それだけで、いよいよ小島はどうしてだか溢れてくる涙を止める術を失う。さすがに、 シゲもうろたえるそぶりを見せた。 「ちょ、小島ちゃん? これやと、俺が泣かせたみたいになってまうんやけど」 「あんたが泣かせたのよ。ずっと心配だったから、安心したの」  ちゃんと、シゲが水野に伝えてくれてよかった。  もう、水野に心配は要らない。これからもずっと、シゲに振り回されるかもしれないけ れど、離れることはきっとない。だから、もっと安定していくだろう。  シゲも、もう大丈夫だ。自分のやりたいことと、手に入れたいことに、正面から向き合 う覚悟をしたのだから。 「安心て。まだタツボンの返事も分からんのに」 「私は分かるなー。なんせずっと見てたからね。それに水野ってさ、なんか弟みたいに思 えてて、」 「誰が弟だって? 十四歳なりたてに言われたくねぇんだけど」  突如、背後から紛れ込んできた声に、背筋がぴんっと伸びた。 「ドリンクの追加にいつまで掛かってんだよ」 「わっ! ごめん、すぐいく!」  給水機を勢いよく掴むと、黒髪の二つ結びを跳ねさせて、あっという間に青空の下へと 戻っていった。 「まったく……しかもシゲまで」 「ああ、すまんすまん。ちょお大事な話しとってん。それより何て? 十四歳なりたて?」  再び、皆に向かって声をかけている彼女を遠くに見て、傍らの水野に問いかける。 「うん、今日が誕生日だって前に言ってたんだ。まさかあいつがこの学年最年少だなんて な」 「……いやいや、ホンマに」  ずっと自分たちを気にかけてくれていて、涙まで流してくれる、あんな気立てのいい彼 女が最年少だなんて。 「誕生日おめでとう、小島ちゃん!」  グラウンドいっぱいの声量で叫んだら、振り返った笑顔が眩しかった。