めでたい日だ、と思う。  だからこそ、こう……この人たちにも、悪気はないのだと判ってはいるのだけれど。 「おめでとう、水野くん」 「これ、クッキー焼いたんだけど」 「よかったら、使ってくれない? マフラーなんだ」  雨のように、は言い過ぎにしても、たくさん降ってくる「おめでとう」に、竜也は辟易 した。極めつけには、机の中や、下駄箱にまで。 「……」 「み、水野くん?」  放課後の昇降口、部活へ行く途中で将と出会った。そして、自分の下駄箱に押し込まれ た(もはやそう表現するしかない。後続が、明らかに前から入っていた物を奥へと押して いる)それらとも出会った。  思わず絶句した竜也の表情を、伺うというよりは、怖いものを見たくないけれど見なけ ればならない、そんなニュアンスで将が見上げる。 「でも、皆お祝いしたいだけなんだと思うな」  怖くても、フォローを入れることを忘れない。 「……判ってるよ」  流石に慣れたもので、鞄から折りたたんであった紙袋を取り出すと、その下駄箱が飲み 込んでいたものを詰め込んだ。そして、二人で部室棟までの道程を歩く。  どこかの金髪のように、不必要なものをさらっと投げ出せるような力が、今だけは欲し いと思った。これを持ってきた人たちの気持ちが想像できて、想像できるから投げ出せな い。結局、毎年の今日は紙袋を持参する羽目になる。溜め息をついて、斜め下を向いてひ たすら歩を進めた。  そして、辿り着いたサッカー部質の扉を開けると、 「おめでとう、水野!!」  の嵐だった。 「うわ!?」 「あら、あんた今日誕生日なんでしょ? 風祭が――」 「ち、ちょっと、小島さん!」 「あ、内緒なんだったっけ? 教えてくれたのよ」  いや、明らかに秘密にしておけ、と言われたのも何もかも覚えていて、その上で言って いる。性質の悪いことこの上ない。優しい、白々しさ。 「悪いな、今日なんにも持ってなくてさ。食べかけだけど、ポッキーやるよ」 「ポッキー? それはちょっと……」  高井の取り出した、おなじみの赤いパッケージに賛否両論が飛び交う。  丁寧に焼いてくれたクッキーより、慎重に選んでくれたマフラーより、正直こっちの方 が嬉しかった。ポッキーでもいい。いや、このポッキーがいい。 「ありがとう、貰うよ。――それより、練習開始五分前だぞ! 着替え終わってない奴は 急げよ」  その声が皆を動かす。他の人も、チョコレート菓子や、飴や、なんだかよくわからない 食玩をスポーツバッグに投げ入れては、校庭へ出て行く。その度に、「おめでとう」と「 ありがとう」を繰り返した。 「おめでとうさん、タツボン」  着替えの終わった竜也とすれ違うように、シゲが入ってきた。 「……あ、ありがとう」 「なんやねん、驚いたーいうような顔しおってからに――っと、カザが呼んどるで。早よ 行き」  だって、まさかそんな素直に言ってくれるなんて微塵も思っていなかった。  十一月も末になると、日がくれるのも大分早い。それでも、真っ暗な六時にはどうやら 家へ着けそうだった。  あれから、練習が終わった後で話せるかと思っていたら、シゲはすうっとフェードアウ トするみたいに帰ってしまって、お陰で竜也は少し物足りない気がしていた。まあ、おめ でとうを言ってもらえただけ良しとすべきなのか。 「タツボン」  そんな思考をつらつらと考えていたら、目の前に何かが居る。ちなみに目の前とは、こ の場合、水野家の門前を指す。 「……シゲ」 「おかえりー」 「おかえり、はないだろ。ここはお前の家じゃないぞ」  門柱に寄りかかっていた体を起こして、シゲは竜也の目の前に立った。 「まま、細かいことは気にせんと。タツボンと二人になりたかっただけやから」  え? 口から疑問が零れ出る。何かをしたい、だなんて、何かを望むのはいつも竜也の 側だったのに。 「プレゼント、何も用意してへんから。今、やったる」  目、閉じて。  混乱と動揺の中にあった竜也の頭に、その言葉は何の抵抗もなくするりと入ってきた。 素直に閉じた瞼の、薄い皮膚の上に、同じくらい薄くて血の通った、 「おめでと。あと、ありがとうやな」  軽く音を立てて離れていったのは、間違いなく唇だった。  そのまま、ゆっくり下へと下りていって、唇同士が出会う頃には、竜也だってシゲの着 ているパーカーへ手を伸ばしていた。 「ありがとう?」 「生まれてきてくれて。前に、誰かが言うとったから受け売りやけど」 「……台無し」  人差し指の入るか入らないかの距離で、くすくす笑った。嬉しかった。今日、たくさん たくさん貰ったおめでとうの――何よりも。 「さ、うち入り。俺も寺帰るし」  どうせだから寄ってけば、とは言わない。シゲだって判っているから、ここで手を止め たのだ。  リビングから、なにやら女の人のはしゃいだような声が響いてくる。竜也の、愛しくて 大切に思う家族が、彼の帰りを待っている。 「今日のところは真理子ちゃんに負けとくわ」 「うん。……ありがとう、シゲ」  その後姿は振り向かなかったけれど、少し笑っているような気がした。 「――なんてこともあったよな」 「蒸し返すなやー。中二なんてな、人生ん中で最も目も当てられん時期やで」 「そうか?」 「そうや。けど、今年は真理子ちゃんより早う祝えるな」 「今日、俺が試合だったから」 「でも、明日はちょお帰るんやろ?」 「ああ。……シゲ、あの時も、母さんよりお前が先だったよ。俺の中では」 「あんなんで? ……安上がりな奴っちゃなぁ」 「いいだろ別に。あの頃から、お前のすることが一番だったんだから」 「……はー。タツボン、お前学習能力あるんか? そういうこと言うたら、俺がどういう ことするか、判って言ってんねやろな?」 「え? って、ちょっと、待っ」  ――二十三、おめでとう。