※7/7の京都サンガVSセレッソ大阪に勝利したものとして書いています。  →1―1の同点で終わってました。が、もう面倒なのでこのままでいきます。 「お疲れー」 「おー、お疲れさん」 「シゲ、次もゴール宜しく頼むで!」  試合後の騒がしいロッカーには、疲労を遥かに越えた喜びの空気が充満していた。七月 七日、七夕の曇り空の下行われた、京都サンガVSセレッソ大阪戦。見事勝利を収めたサ ンガの彼らは、お互いの貢献を称え合いつつ、帰り支度を整えているところだ。この熱気 からして、すぐに試合後の汗は引いても、興奮はそうはいかないらしい。  けれど、声を掛けられた当事者は、周りの雰囲気より一足先にクールダウンしていた。 「そない言うんやったら、俺が入れやすいような素敵クロス、頼んでもええんやな?」  とても先程までユニフォームから搾れるほど汗をかいて、フィールドを駆け回っていた とは思えない、その人。爽やか、それでいて意地の悪い笑みを口の端に乗せて、声を掛け てきたチームメイトを振り返った。 「うっ……、それはもうちょいクロス得意な奴に言えや」 「せやかて、先にモノ頼んだんは自分やろー」 「人には向き不向きいうもんがあるんやぞ、――まあ、シゲは大概なんでもいけるけどな」  そらお褒めに預かりまして。そう言うと、あっという間に次々に周りへ別れの挨拶を告 げていく。その滑らかさは、止めようにも止められない流麗ぶりだった。 「ほな、また明日な」  気付けば、その金髪はドアの向こうへ消えた後。  チームメイトは不審そうに呟く。 「……なんや、勝ちの立役者やから酒でも奢ったろ思ったんに」 「シゲ、一人で帰るん珍しいんちゃうか? 何ぞ用事でもあったんかなぁ」 「ちゃうやろ、明日のことがあるからと違う? 俺らと表から出て行ってみい、ファンの 子らに潰され死ぬで」  ああそうか、とみんなが手を打った。  出待ちのファンには見つからない、本当に本当の裏口を通ると、シゲこと藤村成樹は肺 に溜めていた空気をふーっと抜く。いつもは何人かで連れ立って帰るし、ファンサービス も忘れないようにするにはするが。 「今日はあかんやろな……」  なにせ、明日は。  梅雨の合間に空いた、星の見えない曇り空。それをちらりと見上げると、湿気を鬱陶し く思いながら家路を急いだ。そうか、今年は織姫と彦星、会えへんのか。  試合は長引いたわけではないが、家に着く頃には11時半近かった。一応、向こうでシ ャワーは浴びていたものの、家路の途中でまた少しべたついてしまったと思う。普段なら このまま寝間着に着替えてベッドへダイブするところだが、成樹は風呂場ヘ直行した。つ いでに、どうせしなければならないのだし、と洗い物を放り込み、洗濯機のスタートボタ ンを押す。全自動に感謝しつつ、その空いた時間にもう一度シャワーを浴びた。  洗濯が終わるまではあと15分掛かるようだ。表示されているデジタル文字に目を留め て、髪を拭きつつリビングへと戻った。  壁に貼ってあるカレンダーは、一年分が一気に見れる、一枚張りのものだ。前は一ヶ月 に一度捲らなければいけないものを掛けていたのだが、いかんせんそういうところに成樹 は気を回さない。回せないのではなく、回さない。そうしていたら、一昨年あたりの正月 に会ったとき、「お前どうせ捲らないんだったら、でかい一年分のヤツ貼れよ」と、どこ かのミッドフィルダーに言われたのだった。  その、今日の日付に指を這わせる。そして、なぞるようにその次の日にも指を乗せた。 明日、その日に赤く丸を付けていった彼は、今横浜にいる。  と、そこに、聞き慣れたバイブ音が鳴った。  机の上に投げられたままの携帯を、ストラップに指を掛けて持ち上げる。表示パネルに 示された名前を見て、一瞬喜んだが、しかし同時に眉を歪めもした。 「――はい」 『ああ、シゲ? 俺だけど』 「わかっとる。それよかタツボン、明日試合やろ。こんな時間まで起きとるなやー」  そんなことを言ってみたところで、どうせ返ってくるのは、 『平気、7時からだし』  そんな台詞だけだと判っているけれど。伊達に何年も付き合ってきたわけではない。 『あ、それよりお疲れ、今日勝ってたな。お前ゴール入れたらしいじゃねぇか』 「まあな。けど、他に何回か狙うたんははずしたわ。惜しいのもあったんやけど」 『そんなの、シゲが狙ったの全部入ったら、他のチーム総負けするって』  そんなたわいない話ををしていたら、遠くで電子音がピーっと鳴った。 「あ、」 『何の音?』 「洗濯機やな。そう言うたら、もう15分も喋っとんのやけど」 『ああ、俺から掛けたんだっけ』  そうだ、肝心の話題を忘れてもらっては困る。  メールも電話も同じくらいのウェイトでするけれど、試合の後はメールがほとんどな のは、相手のことが手に取るように判るから。つまり、疲れているのに、試合の所為で すぐに寝つけない。けれど、そのまま寝てしまっても大丈夫なように、だからメールな のだ。  けれど今日は、一年の中でも特別だ。今日だけは、試合だろうが何だろうが、向こう から電話が掛かってくる日。 『でもまだ、日付変わってないんだ。あと3分くらい』 「細かいやっちゃな……」  苦笑するけれど、その一方で、自分だって人のことは言えないと思い返した。冬の足 音のする寒い月の終わりに、自分も同じ事をするくせに。  ぺたぺたと、裸足のままで洗濯機の前まで行く。中のものを引きずり出しながら、3 分間の穴埋めに、 「ちゃんと覚えとってくれるんは、何回やられても嬉しいもんやな」  本当ならベッドの中で、彼を隣に呟きたいことを電波に乗せる。 「もう歳喰うのが嬉しい言うわけでもないけど」 『初めて誕生日祝った時なんか傑作だったよ。確か、中三の時だっけ?』  肩と頬の間に挟まれた携帯から、忍び笑いが聞こえてくる。洗濯物を干すためには、 どうしても両手が要るからそういう格好になっているが、至近距離で笑い声を聞くとい うのはくすぐったくて仕方ない。  手際よく干し終わって、右手に携帯を持ち直す。そして、囁くように紡いだ。 「せやな。“こう”なったんは中二の春やから」  “こう”のところだけ強調して言ってやったら、一瞬だけ息を詰めたのが判った。昔 ほどではないにしろ、きっと頬に血の集まった顔をしているのだろう。全く、いつまで 経っても竜也は竜也なのだった。  けれど、あの頃とは流石に違う。すぐに自分のリズムに持ち直した。 『お前、何が起きたのかわかんないって顔してた』 「……。しゃあないやろ、あんなん、」  初めてやったんやから。泣くかと思った、まさか俺が、人前で。 『――あ、』  その声に現実に引き戻される。時計を見た。  あの頃とは比べ物にならない、落ち着いた低い声。若干、自分と比べれば高いけれど 、でも、同じ人が言う、同じ言葉。  毎年聞いてきた、今年も聞ける。ありがとうありがとう、一つ歳をとる。 『誕生日おめでとう、シゲ』  ――うん。 「うん、ありがとさん」 『24か。やっぱり俺より年上なんだよな、今更だけど』 「何、敬語でも使うてみる?」 『ばか。誰が使うか、お前に』  お互いに、くすくすと口の中だけで笑った。  中坊の自分に言ってやりたい、「お前が逃げつづけていたものは、こんなにも温かく て幸せで優しい気持ちになれるものだよ」と。損してた、なんて思えるようになるとは 想像もしていなかったけれど。 「せやけど、やっぱり会えたら良かったなぁ」 『仕方ねぇだろ、明日――今日か、は俺が試合あるし』  そういう返しを望んだのではないのだが。  成樹は、出来うる限り声のトーンを落としにかかった。低くすればするほど、掠れて いく。 「――会いたないん、タツボンは」 『っ、そ、そんな訳な……あーほら、寝ろ! 疲れてるんだろ、』  急くような口調に滲んだ、裏返しの「会いたい」と照れ隠しの気遣いに、甘えること にする。 「あー、やったら寝さしてもらうわ。9日そっちオフやろ? 俺練習あるけど、夜は暇 やから」  また話そう、なんて言う必要などない。 『判った。じゃ、またな。おめでと、』 「ん、――ありがと、」  朝、枕の横へ放置された携帯には、U―19の頃の人達から大量にメールが届いてい た。  それを、酷く淡い、突き上げる滲んだ気持ちで見つめる自分がいる、そのことに誰よ り自分が驚いて、  ああ、幸せなんだ  と思った。  思って、24の自分におはようを言う。  ――今日は、7月8日。