※R18※  その日、竜也は地方遠征から帰ってきた。夕焼けももうすぐ終わり、空に下りてきた群 青の幕はその色を漆黒に染めようとしている。  マリノスは今年順調に勝ちを積んでいる。竜也がそれに絡むこともしばしばあったし、 その頻度も増えてきた。今日も、竜也の放ったクロスが上手く繋がり、貴重な一点に貢献 したばかりだ。心地よい倦怠感に包まれながら、竜也はマンションの一室に鍵を差し込み 、開ける。 「ただいま――、あぁ、」  そういえば、この家のもう一人の住人である金髪の彼は、今日の遅くか明日の朝に来る と言っていたのだった。サンガも好調のようだし、これは近いうちに当たるかな、と二人 で話したばかりだ。とりあえず彼が居ようと居なかろうと、ただいまの一言は癖なのだろ う、玄関を開けると必ず竜也の口をつく。確実に、あの若く可愛らしい母親の教育が功を 奏している。  ――でも今は、おかえり、がなかった。あの面倒くさがりが、それでも竜也が帰れば必 ず返してくれる、その言葉がなかった。      二人ともJリーガーとして社会に出るようになってから、――いや、もう既に高校生時 代からこのようなものではあったのだが、とにかくも彼らは一人暮らしを始めた。但し、 一人暮らしとは名ばかりで、実質は“二人暮し”である。それぞれサンガ、マリノスの本 拠地に近いところに部屋を借りる。そして、普段はそこに一人で住むが、相手が遠征やオ フの日などどちらかの家にに立ち寄れるときは立ち寄って、そのまま過ごすのだ。双方の 家には最早どちらの物ともつかない雑貨や服が乱立していて、だからこれは二人暮し、つ まりは“同棲”とも言えた。  竜也はスポーツバッグの中身を洗濯機にぶち込むと、機械的に洗剤を放り込んでスイッ チを押す。シャワーを浴びてしまうと、どうにも何かをしようという気にならなかった。 トランクスの上に短パンジャージと綿のTシャツを無造作に着て、リビングのソファにど さっと座った。いや、この場合倒れこんだといった方が正しいか。  2LDKだが、もう少し欲張れると言えば欲張れる。でも、これ以上広くなってしまう と、彼と一緒に住んでいるという実感が薄れてしまうような気がして、竜也は頑なに2L DK以下を推した。おそらく向こうもその意図を察してか、特に反対はしなかった。でも 、一緒に住んでみたら割合取り越し苦労だったな、と思う。気付けば二人ともリビングに 居て、ごろごろとTVを見ていたり雑誌を読んでいたり、どちらか片方がダイニングに行け ば、その帰りには手に二つのコーヒーを持ってきたり。ちなみに、カップは二人そろいの マグである。あの金髪が、「どうせ買うなら揃いにしようやー」とかなんとか言って、結 局百均で買ってきた。竜也は正直あまり食器まで百均というのは頂けなかったのだが、以 外にも丈夫で結構長い間もちこたえている。  ソファの心地よさに包まれて、ぐだぁ、と体を下へずらしていく。窓から見える空はも う真っ暗で、立派な夜だった。電気をつけていないから、入ってくるのは外に立っている 街燈と遠くにある街の明かりだけだ。まばらに壁を照らしている。  どうしてだろう、心の中にじわじわと昏い穴が広がっていくような気がする。少なくと も明日になれば、またあの笑みに会えるのに。 そのまま惰性で体を横たえた、そのとき。 「……っ!」  反射的に、それはもう凄い勢いで、竜也は体を起こした。どくどくと心臓が、それより も体の中心が、激しく内側で脈を打つ。  竜也が倒れこんだ先にあった一つのクッション。それは、常々彼が――成樹が、体育座 りをするときに抱きかかえるように使っているそれだった。竜也が少しやきもちを妬くほ ど、成樹の傍にある、クッションが。  あいつのにおいだ。  改めて自覚した。そのクッションに、嫌というほど染み付いた、あいつのにおい。少し 汗臭くて、でも絶対暖かい、あいつの。 「――うわ、最悪」  伊達に何年もこの体と付き合っているわけではない。生まれてこの方、この体を離れた ことなどあるはずもない。調子の悪いときも、試合に出るときも、どんなときでも自分の 心と体で生きてきた。……だからこそ、判ってしまうこともある。 「どうしてこうなるかな」  たったこれだけで、少しあいつのにおいがしただけで。たしかにちょっとこの頃会えな くて、寂しかったのかもしれないけれど、でも。 「勃つ、とかさ……」  はぁ、とわざとらしく溜め息をついてみるものの、当然のことながら既に体は理性の統 制下になかった。その証拠に。 「……ん、」  右手をするりと下肢に回す。服の上からでもうっすら判るふくらみに、わざと触らない ように手をかざした。焦らすようなその動作に、竜也はどうしようもなく成樹を思い出し ていく。大概、こっちが請うまでは触りもしないのだ、奴は。まぁ向こうの心に空きがな いときは別だけれど。  人間は当たり前だが、常に三十六度前後の体温を持っている。それは結構熱いもので、 そして意識もしていれば熱は服をも越すのだ。 「ぅ、んっ」  自ら伸ばした手がいつまで経っても自身に触らないのに堪えかねる。気付けば竜也は自 分から腰を浮かせて、そしてその手に自らを擦りつけていた。 「――っつ、んぁ、」  そのまま服越しの愛撫を続ける。右手は内股をなぞってみたかと思えば大腿骨の付け根 を掠めたりして、竜也の自我とは最早関係がなかった。そしてこちらも自我とは無関係に 、どんどん腰の辺りが痺れていく。左手も伸ばそうかと、今まで支えにしていた腕を頼り に、一旦体をソファの上へ引き上げる。ふいに、手が何かを見つけた。 「あ、」  それはこの状況の引鉄ともいえる、成樹お気に入りのクッションだった。  竜也は徐々に思考が熔けていくのを感じながら、ソファの上で体育座りをした。そして 、成樹がやっているようにそのクッションを胸と太ももの間に挟む。こうすると、少し顔 を俯かせるだけで柔らかな感触に顔を包まれる。もちろん包んでくれるのは感触だけでは ない。彼のにおいも、一緒に。 「……ふ、っう」  とうとう耐え切れなくなって、右手は服の下へ潜り込んでいく。そこに溜まった血が、 そのまま欲求不満の表れだと知っていて、知っているからこそ恥ずかしい。けれど、恥ず かしいから堪えられる、なんてどこの世界にもそんな男は居ないだろう。ここまでなら、 途中で止めてもどうにかなるが、下着の中を手がまさぐってしまっては、もう後戻りは出 来なかった。ついで、とばかりに左手もトランクスを剥がすのに一役買う。右手はそのま まに、左はTシャツをたくし上げて掠めるように脇腹を辿っていく。  自分の、肩を借りてする息が無性に耳について、熱さにまた成樹を重ねる。覆い被さっ てきて、キスをして、深く浅く舌を回して、そのまま耳元に顔を埋める。その時の、抑え きれない湿った息遣いがフラッシュバックして離れない。竜也の喉の奥から溢れ出す空気 も同じように熱いのに、彼がそれを意識する余裕はいつも失われる。  ぴんっと左手が薄い胸の突起に触れる。それだけでもう、 「あ、あっ、んっ・・・・・」  息は実音を持った。  中央には触れないで、わざと周りを指でなぞっていく。そして時折、立ち上がっている 出っ張りの側面をそっと撫でる。そのたびに腰が揺れるのが自分でも判って、しかし止ま らない。動きに合わせるように右手はやんわりと自身を包み込んでは上下に擦った。胸と 、下肢とに絶えずびりびりと痺れが襲ってくる。左手がもう片方の飾りに手を伸ばすけれ ど、そこは先程とは同じようにせず、いきなり上から押しつぶした。 「いっんぁっ、ふっ」  心臓が、いや、体の芯が大きく跳ねる。あまり強い波ではなかったが、反射的に一瞬体 を縮こまらせた。その拍子に、鼻先に何かが当たる。  ――シゲ。  乱れた息のまま、無理矢理空気をいっぱい吸い込んだ。クッションを通して入ってくる それは、どこまでも成樹が傍にいるような気にさせた。 「っ、は、あぁ、はっ、」  後はもう夢中だった。右手で、血を通わせるそれを扱き、左手はずっとクッションを握 り締めたまま。  もうすぐ会える、だけどまだ会えない、そのもどかしさも拍車を掛けた。 「あ、んっ、あ、ぁ、イっ、く……っ! ――っ、」  そんなに強く激しくはやっていないからだろう、流石に意識は持っていかれなかったが 、でも目の前が一瞬スパークしたのは嘘ではない。  そういえば、この頃試合だの練習だの、なんだかんだでヌいてなかったしな――と、射 精後特有のぼんやりした思考で思う。白濁で濡れた右手をとりあえずそこらにあったティ ッシュで拭う。更に自分の後始末をしようとした――その時だった。 「なんやエエコトしとるなぁ」  ぱっ、と部屋が明るくなった。  その声、その気配、なんでどうして。 「シ、ゲ」  まだ上手く呂律の回らない口で紡げば、相手はにこぉっと笑う。二十歳を過ぎてからも 、この人好きのする笑みは変わっていない。ただし、今ここで発揮されるというのは、平 然とは違う意味を持つが。 「ただいま。今日ちょお早う終わったんで急いで来たんやけど、」  リビングの出入り口にいた成樹は、肩から下げたスポーツバッグをすとんとそこに落と して、いかにも楽しそうにソファへと近づいた。 「家入ったら真っ暗やろ。どないしたんか思うたら、エエ声聴こえてな。そのまま聴いと ったんや」 「……声くらい掛けろよ」 「なに言うてんのたつぼん。んな、もったあないことするかい」  戯れに頭をくしゃくしゃ撫でられて、その延長で小さくキスをする。初めは額に、瞼、 目尻、頬と下りていく。成樹の唇は少しかさついていて、さっきまで外にいたんだなこい つ、とそれだけを思った。 「にしたって、ずっと見てるのは性質悪くないか?」  今更だけど。  未だ達した後の高揚のまま掠れた声で、竜也は少々すねた声色を出す。 「自分も判ってるんやん。今更や、俺が性質悪いんなんて。それとな」  遂に口まで降りてきたキスは、もうバードキスどころではなくて深くまで味わうそれだ った。ひとしきり竜也を味わって、至近距離のまま。 「見てたんと違う。聴いてたんや。せやな、無理に言うとしたら――“聴姦”やろか」  ほとんど囁くようにそんなことを言った。 「――ッ!」 「わー、たつぼん真っ赤や」  そう言って表情は笑っているが、その実彼の左手は竜也の下肢へ降下していた。ちょっ と先程まで勃っていた個所に手が触れただけで、竜也はびくっと背筋を張る。  成樹はもう一度深く口内を遊んで舌を吸い上げると、竜也の左手をなんでもないことの ように成樹自身へとあてがった。そこは相当屹立していて、正直ジーンズではきつくて仕 方ないだろうと思わせるには十分だった。 「なあ、俺も一緒にイってええ? あないなエエ声聴かされたら、ちょっと黙っとられん わ」  意訳すると、「ヤらせろ」か。  薄く笑む成樹を、竜也はそっと見上げる。余裕のあるように見えて、その声に混じる欲 望はまったく切羽詰っている。それはそうか、自分が長らくヤっていないということはそ のまま成樹にも言えることなのだから。それに、今日は練習から帰ってきたばかりなのだ 。疲れているだろうし、自分はもう一回イったし。自分の手で、だけれど、まぁ今回は。 「って、ちょっとたつぼん、」 「良いだろ、別に。それから、なんかこの状態のお前にヤらせると俺が痛いことになりそ うだから嫌だ」 「嫌て、――っ、」  かちゃ、とベルトの金具を緩めて、ボタンを外して、ジッパーを下げる。トランクスを ずらすときに触れてしまったのに、成樹が反応して息を詰めた。 「ん、む、」 「ちょ、本気なんか――っん、う」  迷わず成樹の両足の間に顔を埋めて、自身を咥え込んでやれば、多少の抵抗はしたもの のすぐに声を上擦らせる。ソファの上に成樹を連れこんで、竜也は一心不乱にそれを舐め た。何回かした――やらされたフェラは、成樹いわく「上手くはない」らしいが、「でも 逆にそこがええんやけど」と笑われたことがある。今はどうだろうか。 「……ふっ、ぁ、あっ」  筋の裏を一直線に舐め上げる。そのまま亀頭の周りを一周すると、成樹の足が小刻みに 震えだした。わざと、彼がいつもそうするように少し吸ってみると、 「あ、んっ――、っつ」  成樹にしては珍しく、眉根を寄せて奥歯を噛み締めた。奥歯を噛むのは決まって繋がっ ているとき最後のスパートの最中、つまり感じて達する一歩手前に成樹がする癖のような ものだ。加減を忘れた両手に、竜也の茶色く細い髪が絡みついていく。  まぁ今日は、こうなる前に既にかなり勃っていたから。  竜也は自分にせーの、と合図を送って、一気に成樹を追い詰めた。 「ん、ふっ、ぁ、あかん、――っあ!」  最後、成樹は口からむりに自身を引き抜く。結果として、竜也の頬に白い涙が伝ったの を、彼は謝りこそしなかったが、ただ丁寧に舐めとってくれた。 「は? クッション?」 「そう。……なんだよ、別に良いだろ。溜まってたのはお互い様だし」  その後、もう一回ヤろうと言った成樹から逃げて、夕飯を食べて風呂に入って。そして 今は、竜也の部屋にある少々大きめのシングルベッドの中だ。枕元に備え付けてあるライ トがオレンジ色に空間を色づける。 「別に悪いなんて言うとらんやん。そうか、クッションなぁ……」 「おい、なんか変なこと考えてねぇか?」 「ないない」  向かい合わせに大の男が二人。でも、その表情はとても楽しそうだ。くすくすと、どち らからかともなく忍び笑いが洩れる。 「やけど、たつぼんも大人になったな。前やったら、絶対あそこでフェラなんかせえへん かったやろ」 「そりゃあ、まぁ。でも、この歳になれば流石に慣れるよ」 「ああ、そうやって色モノ単語にも反応返って来ぃひんし……なんやつまらん」 「つまんないのか? あ、でも俺は珍しいものが見れた」 「は? なんかあったんか?」 「違う違う。――お前の、余裕無い顔」  はは、と笑った竜也と対照に、成樹の顔からすうっと温度が失せた。思わず竜也は手を 引こうとしたが、そうは問屋が卸さない。煌々と光るオレンジのライトに、不敵に笑う成 樹が浮かび上がった。 「ほほー、そないなこと言うんやったら今度はそっちの番やんなあ?」 「え、別にそんなことは……っ、ちょっと待て、シ、ゲ」