なんだこれ、と思わなかった人には心から拍手を贈ろう。それはもう全世界から大絶賛 の嵐が吹き荒れること間違いなしだ。誰だって褒める。  それくらい、酷い。 「……な、なんなんだこれ」 「極卒、お前はまた下らないことを」 「おれこんな色見たこと無いぞ!」  騒ぐ彼らを前にして、フラスコ片手に体のバランスを奇妙に崩し、極卒は笑う。彼の場 合、顔全体としての表情はあるのだがどうにも目だけが感情を表してくれない。そのお陰 で余計に引いてしまう。口は思う存分笑っているのだが。  そもそも彼は人なのだろうか。某氏から、夜な夜な増殖しているのを目撃したとの証言 もあるのだが、……この際関係ないものとする。  とにかく、極卒は昼下がりにテンションも高ければそのフラスコをも高らかに掲げ、こ う宣言した。 「ふふん、騒ぐな愚民共! 今こそあの神秘のヴェールを剥がす時なのだ!」  ――ことの始まりは昨日の夜に遡る。  夕飯が綺麗に皆の腹の中に納まり、次いでデザートが出てきたときのことだ。ちなみに 昨晩の夕飯当番はジャックだった。彼は意外とまめで器用で料理上手なのである。まめで 器用は暗殺者なので判るが、料理上手は完全なるオプションだ。  ジズはその前の晩から姿が見えなかった。まぁ良くあることなのでさして皆気にも留め ていない。 「そういえば、クリスマスが来るのだな」  フォークを咥えて上下に揺らしながら極卒がぽつりとそう言うと、エクレアを頬張って いたその他の三人――バウム、ジャック、ヴィルヘルムが固まった。それはもう何年もう ち捨てられて苔が生したような立派な岩のように固まった。いっそそのまま固まってしま えれば良かった。 「い、いやぁ、そうだけど、」 「まぁそんな行事もあるにはあるが、」 「関わらなくても普通に過ごせるじゃねぇか」  三者三様にどうにか極卒の意識をクリスマスから離そうとする。それにはれっきとした 理由があった。  去年は何を思ったのかクリスマスとイースターを混ぜこぜにして、城の至るところに卵 を隠したのだが自分でもどこに隠したのか判らなくなり、結局年末は卵探しで終わるとい う惨事が起きた。しかもその卵は生卵だったのだ。普通、イースターで使うのは固ゆで卵 と相場が決まっているのにもかかわらず、である。冬が過ぎて春になると、見つけられな かった卵から腐臭が漂ってきたことは想像に難くないだろう。  更にその前はクリスマスツリーに飾るボールを手作りした。そこまでは良かったのだけ れど、なんとそのボールには極小のチップが埋め込まれていて、触ると熱を感知して爆発 するようになっていたのだ。しかも何を思ったのか強力な催涙弾だった。……お前はスト ーカーでも撃退するつもりか。  とにかく、クリスマスに限ったことではないけれど、極卒と行事はとことん相性が悪い のである。とんでもなく。というか、極卒が歩み寄ろうとして、勝手に失敗しているのだ が。 「いいではないか、クリスマス! 我らが聖なるイエスの聖誕祭をこの僕が祝わないで何 とする!」  祝わなくていいよ。ほんとに。  全員が心の中で異口同音に思うと同時に、階下で重く扉の開く音がした。  コツコツと石の階段を踏む音が次第に近づき、リビングと廊下とを繋げる戸がまるで初 めから開いていたかのようにすっとその痩身を皆の視線に晒す。 「たダいま帰リましタ。おヤ、今日はシチューだったノですネぇ」  するっと首に巻いていたスカーフを取ると、彼――ジズはその纏う雰囲気そのままの優 雅な笑みを浮かべる。先程まで力説していた極卒も、その笑みの前には一旦なりを潜める より他なかった。 「あー、帰ってくるとは思ってなかったからジズのエクレア焼いてねぇや。悪りぃな」 「お構いナく、ジャック。もう今日ハ寝ますかラ」  そして手近にあったバウムの紅茶に少しだけ口をつけると、 「ではマた明日」  そう言って、反対側にあるもう一つの戸にするりと姿を消した。  やれやれ、まぁとりあえずジズのお陰で極卒のクリスマス企画は消えるだろう。そう思 った三人は、自分の認識の甘さを後に呪った。  ジズが去った扉を、らんらんと輝く目で極卒が見つめていたことをこの時知ってさえい れば良かったものを。無論、それを知る由は無かったのだけれど。  そして冒頭へ至る。 「神秘のヴェール? なんだそれは」 「決まっているだろうヴィルヘルム、ジズの帽子だ!」  帽子がヴェール? それはまた、随分と装飾した言い方をするものだ。確かにジズの帽 子は少し変わっているが、それほど気になるものでもないと思う。第一、彼に似合ってい るのだからそれで良いではないか。 「それで、帽子とその……手に持ってるものと何か接点があんのか」 「は、これだから愚民は。いいか、よく考えろ。今まで僕たちは奴が帽子を取ったところ を見たことあるか?」  毒々しい紫色をして煙を噴き出しているフラスコを片手につまんで揺らしながら、極卒 はにたりとわらう。 「そういえばないぞ、おれ」 「だろう、バウム。そこでだ! クリスマスもあることだし、ジズにパーティー用のとん がり帽子を被らせようと思い立ったのだ!」  きょーっきょっきょ。  そんな得意満面の顔で宣言することがそれか。しかも笑いが気持ち悪い。相変わらず口 だけで笑っているから尚更だ。パッチリした下まつげだけが妙に目立っている。 「うん、そこまでは解った。でも極卒、その液体はなんなのだ?」  よくぞ訊いてくれましたと言わんばかりに、びしぃっとバウムを指差すとずずいっと顔 を近付け、 「これは――ただの睡眠薬プラスあるふぁだ!」  と言い切った。指差された森番はじりっと後ずさったが無理もないと思う。あの顔が自 分の目の数十センチのところまで来るのだ、誰だって引く。  それより、その“プラスあるふぁ”がとても気になる。 「いやいや、少し待て極卒。確かにジズの帽子を取ったところは私も見たことがないが、 だったら普通に「こっちの帽子をかぶってくれ」と頼めば良いだけの事ではないのか」 「確かにヴィルの言う通りだと思うぜ? 賛同するのは悔しいけどな」  なんだと? あぁ? やんのかこら。  マッハで戦闘体制に入った二人に、しかしその鎌は容赦のよの字もなかった。 「ちょっとうるさいお前ら」  台詞を全て言い終わる前に、バウムはその右手を薙いだ。  二人が天井近くまで一瞬で飛び上がっていなければ、真っ直ぐ胴体真っ二つコースだっ たことを書き添えておこう。天下の森番、バウムの名は廃れない。 「ふん、ただ頼むだけであのジズが素直に帽子を取ってくれると思うのか?」  天井から降りてきた二人に向かって、極卒が高圧的に言い返した。あの、のところに力 を入れて言われると、たしかにそれは有り得ない事だと気付く。 「だからって、その薬は……」  しかしあれよあれよと時は過ぎ、遂に夕飯の時間となった。  朝、昼には起きてこなかったジズも流石にお腹が空いたものと見えて、食卓に姿を現し た。ここからが決戦である。  皆に注がれたシャンパンの中でもジズが飲むそれだけに、極卒は前もって薬を混ぜてお いた。ジズは何のためらいもなくすっと口をつける。嚥下するかどうかを極卒は凝視し続 けた。そして――確かに飲んだのだ。  これなら、上手くいけばものの三分もしないうちにジズは昏倒するだろう。思ったより 簡単だったな、とかすかに微笑んだその時。 「極卒? 言っテおきマすが、貴方ノ手元にアるフラスコの中身はタだのブルーベリー酒 でスよ」 「……は?」  思わず声を出してしまった。ここは何も知らない振りをしなければならない。 「何のことかな、ジズ? そのシャンパンに例えブルーベリー酒が混ざっていたとしても ラッキーだったじゃないか」  だろう? と極卒は後ろを振り返った。――すると。 「え、ジャック、ヴィルヘルム、バウム? どうしたのだ、お前ら――」  ばったん。  すっと意識が遠のいて、極卒も折り重なって倒れていた三人の仲間入りを果たした。  つまりは。 「全く、私を騙ソうなドとまダまだ何百年モ早いデすよ。夜になル前にフラスコの中身ハ すりカえましタかラね。つイでに、皆サんのシャンパンにモ少量混ぜマしたガ、まァこの クらいハご愛嬌でシょう」  少量、の言葉に嘘はなく、実際五分後には全員が目を覚ました。  その目に映ったのは。 「「「「あああぁぁぁーっ!!」」」」 「はイ? どウかしマした?」  ――一人で晩餐を楽しむ、とんがり帽子のジズが座っていた。  We wish a Merry Christmas!!