その日は本当に暑くて、なのに体育なんてものが授業として存在した。 「うげー」 「こんな暑いのにやだー」  男女の悲鳴が響き渡る中、それでも時間というのは誰にでも等しく流れているわけであ って。すぐ、三限目の体育が訪れた。  それは、もちろんこの四人にも同様であり。 「くそー、部活でも散々動き回った後だっつのに」 「えー、いいじゃん! 机にむかってベンキョウするよりよっぽどマシだよ! な、三橋」 「……でも、ちょ、っと、投げた、い」 「あー、三橋は体育より部活のがいいかぁ。ま、そらそうだわな」  かくして、一年九組は追い立てられるように体操着に着替えて、ぞろぞろと校庭へむか ったのだった。  が、しかし。 「ええー!?」 「骨折う?」 「そうなんだよ……すまん! 突然で代理も立てられなくてな、悪いが今日は外周三周で 終わりにしてくれ!」  体育教師の足がもののみごとにギプスと包帯でぐるぐる巻きにされているのを目の当た りにすれば、誰もがその事実を受け入れざるを得なかった。つまり、昨日の帰りに事故に 巻き込まれて骨を折ったが、昨日の今日では代講を立てられず、仕方がないので簡易版体 育で済まそう、ということだった。  けれど、本来ならば五十分間外で運動しなければならなかったはずが、外周三周へと短 縮されたとあって、文句を言う者はいなかった。  校門のところにパイプ椅子を持ち出して体育教師がゆっくり腰かけると、一応、といっ た感じでストップウォッチを取り出して、 「よーい、ドン!」  と掛け声を出した。ではこちらも一応、と九組一同も走り始める。  地味に外周は距離があるが、トラックを延々と走らされるのとは違い、周辺の風景を見 ながら走ることができるため、飽きがこないという面ではとてもよいコースだ。半周程度 も走れば、前後に適当にばらけ出して、ますます授業というよりはレクリエーションの時 間のような雰囲気になってくる。  もちろん授業は全力で、が常である野球部・応援団の面々だが、今日ばかりは少し気を 抜くことにした。朝練があり、放課後にもしっかり練習が入っている。加えてこの気温で あることだし、少しでも体力を温存しようという考えに至ったのだ。  特に三橋は阿部に言われているのか、いつもの彼の実力以上にペースを落として走って いた。自然とそれに浜田が付き合い、よって、彼らと二百メートル以上離れて、泉は田島 と走っている。  いつしか三週目に入った。 「あっちーなぁ」 「なー。モモカン、アイスとか買ってくんねぇかなー」 「今日は別になんも特別なこととかないだろ? 無理じゃね?」 「ええー、っん?」  田島が文句を上げた、と思ったら、なんだか中途半端なところで途切れた気がして、泉 は並走する田島を見ようと、した。 「あ?」  けれど、実際田島は横にはおらず、ではどこに居たのかというと、 「ちょ、おい田島! そっちは……」  学校の裏手に広がる畑へ通じるあぜ道の一つに、日に焼けた少年が立っている。いや、 立っているのではなく、腰を折って、 「――泉!」 「え、」 「ソッコーで誰か呼んで!」  たった十五メートルもないのに、大声でもないのに、田島の声がビリビリと耳に突き刺 さって痛い。すぐその声の通りにしようとする体を奮い立たせて、泉はとにかくも何が起 こっているのかを確かめようと駆け寄った。 「何があったんだ、それも分かんねぇんじゃ呼べるかバカ」 「言ってる場合じゃねーんだって! 絶対コレヤバいって、なあ、ばーちゃん大丈夫か、 聞こえてる!?」  駆け寄って、屈んだ田島の抱き寄せているものを見た瞬間、泉も全てを悟った。齢七十 か八十か、農作業をする格好で横たわっていたお婆さんが、見るからにぐったりとして虚 ろに目を開けている。 「……っ、お前が行った方が早いんじゃ、」 「いいから!」  心からそう思って言ったのだが、途端に一蹴される。もう躊躇している場合でもないと 泉も解っていたので、急いで立ち上がると学校へ行って誰か呼ぼうと靴の先を向けた。  だがその時、冷静さを欠いた頭が、耳の拾うテレビの音を処理する。 「――バカか俺は!」  それを認識した瞬間、泉は今までとは逆方向へ向かって走り出した。  そうだ、田島が言ったことを忘れたのか。  必死で五十メートル程を走りきって、一番手前にあった民家のインターホンをがこがこ と音がするほど連打した。 「知り合いってか、ご近所さんなんだよ、あのばーちゃん」 「ああ、それで……」 「お、ばーちゃんだ、と思って見てたら、なんか変な感じに草の陰に隠れて見えなくなっ ちゃってさ」  一命を取りとめた、と田島の母親経由で連絡が来て、野球部の活動が終わったベンチの 中、二人で安堵のため息をつく。 「体操着握られちゃったから動けなかったんだよなー。泉が来てくれて助かった!」  姿の見えなくなった二人を体育教師は本気で心配して、生徒数名を駆り出して探してく れたが、二人が戻って事情を話すと無罪放免とした。駆り出された方も堪ったものではな かっただろうが、同じように事情を知るとよくやった、と驚かれた。  聞いたところによると熱中症だったようだ。畑仕事は日光を遮るものがないところで、 長時間の作業を強いられるため、想像以上に過酷な労働環境である。 「や、……なんか、俺助け呼ぶのに学校戻らなきゃ、とか思って……バカみてぇ」  裏手だったんだから、学校から一番遠いところにいたのにな、と自嘲するように笑みを 浮かべた泉を、きょとんとした眼で見つめ返す。 「え、でもちゃんと学校より近い近所のおじちゃん家行ってくれたじゃん」 「だから、それはお前が「誰か呼んで来い」っつってたから。あと、テレビの音がして、 それでもっと近くに人間がいる、って気づいたんだよ」  ホント、いざって時に情けない。  そう言うと、泉は気まずそうに急いで荷物をエナメルバッグへ詰め込み始めた。いつも より少し雑なのは気付いていたけれど、直そうとはしないまま。  けれど、少しの間をおいて、ぼそりと呟かれた言葉が驚くほどそっくりで思わず笑った。 「……や、情けねえのは俺の方」  一瞬で頭真っ白になってさ、どうしようどうしようって考えてたとき、泉が田島、って 呼んでくれてさ。それでようやく頭回り出したんだもん。  明日は休日だ。学校の都合により、練習は午前のみ。 「入院したんだっけ?」 「うん、一泊だけ。明日は帰ってくるって」 「……あのさ、」 「お見舞い行こうぜ泉!」 「もちろん」