※栄口誕に見せかけた(栄口+泉+巣山)文です。  寝ろ、と言われているとしか思えない。ということにして、組んだ腕の中に顔を埋め た。  少し冷たい、梅雨の入りの空気が外の曇り空の下を漂っているけれど、窓を閉めきった 教室の中は逆に丁度いい温度に調節されているようだった。人が集団で動いた結果の、間 接的な人肌。 「栄口、」  狭い机に覆い被さって、惰眠の入り口をさ迷っていると、水面に雫が落ちるように自分 の名が呼ばれた。それをちゃんと鼓膜は拾って、脳も処理しているのに、既に眠った体は どうしても口を開かない。  そもそも、誰の声だか判らない。そんなに深く眠っているつもりはないのに、目蓋も小 指の一本も酷く重くて動かせなかった。 「栄口、……ったく、」 「あ、泉。どうした? こんな端っこまで来るなんて」  泉? 九組の人が一組に来るとは、そりゃあ巣山も驚いただろう。でも、訪ねられる心 当たりはないのだけれど。 「用はコレ。栄口の宿題がなんか混ざってたらしくて。一組も地理はあの先生なんだな」  野球部だってくくりで認識はされてるらしいけど、クラスがどんだけ離れてるかは把握 してねぇんだろ。  そう言った泉の声音から、半眼のあの表情まで想像できて、それだけ一緒に居るのだと 妙におかしくなった。半年前までは、こんな風になるだなんて思いもしなかったのに。 「うわ、泉やっぱ毒舌……」  巣山の少しげんなりした声が追随した。クラスなど、把握しているに決まっている。た だ、先生が自分を使ったのが癪なだけだ。 「あ、今真剣に一組に移籍したくなった俺」 「は?」  プリントらしきものがガサガサと音を立てた。泉が持っているのだろう。 「巣山、九組の面子分かるだろ? あの中で今みたいな皮肉言っても、言葉通りにしか受 け取られねぇの」  あー、と巣山の気の抜けた声がする。しかし、納得してしまうのもある意味頷けなくは ない。学力がどうのというのではなく、ただ言葉の裏を読むのが得意ではない人たちなの だ。  一層、頭が起きていくのを自覚しながら、かといってまだ起きれなくて、細くゆっくり 息を吸い込んだ。 「じゃあ七組はともかくとして、三組は?」 「三って沖と西広? ……なんか、やたら優しくされそうだな」 「え、嫌なの?」 「……」  泉が眉を歪めた表情が目蓋の裏に浮かぶ。たまに巣山は驚くほど率直で、栄口も答えに 詰まることがある。けれど、質問をしている当人に全く他意のないのが分かるから、多分 泉も。 「……嫌、じゃねぇけど。なんか……落ち着かないっていうか」  ほら、答えを返す。  少しだけ、本質的なところで、泉は栄口に似ているのかもしれないな、なんて伏せた顔 の隅で唇の端を持ち上げた。 「ふうん? まぁよく解んねぇけど、もっと一組に遊びに来いよ」 「あー、……うん」  曖昧に泉がうなずいた瞬間、 「巣山ー! ちょっと、」  教室の端から声が掛かった。くるりと巣山の頭が反転する。 「おー、今行く! 悪い泉、」 「いいから早く行けよ」  バサバサとプリントが擦れて振られる音がして、人が走り去る音がして、そうしたら途 端に静かになった。周りにはクラスメイトも何もたくさん居るはずなのに。 「……栄口、」 「ん、」  喉の奥から声が出た。途端に今まで眠っていた体がゆっくり重りの取れたように目覚め ていくのが分かる。  けれど。 「いい、寝てろ」  泉は栄口が今まで話を聞いていたと気付いていないらしい。声は身動ぎの一種として片 付けられた。 「……昨日大変だっただろ。疲れてんだよな」 「……、」  どうして、と思ったけれど、でも昨日確かに花井が、泉がどうのと言っていた。……あ あ、泉ももうすぐ栄口のことを知るのだろう。それとももう知っているのだろうか。 「いつか、話してくれたらいいな、とは思うけど」  でも、俺たちから訊くことはないから。  ああ、起きていることなどお見通しだった。泉の「いい、寝てろ」とは、そのまま寝た 振りをしていろということだったのだ。 「プリント置いとくぜ」  かさ、と儚い音を立てて、薄い紙が組んだ腕の下にそっと差し込まれる。  泉だって、充分に優しいと思った。 ※泉は気質的に九組より一組の方が気楽ではあるんじゃないかと。気のせいか。  「昨日」=08' 06/08(とその後2つ)を参照ください。