「いーずみ」  あ? と片眉を跳ね上げた泉の顔は、それこそこの何年にもわたる付き合いの中で見慣 れすぎるほどに見慣れたものだったので、正直、浜田にとっては何の障害にもならなかっ た。  まあ、何年、と付き合い自体はあるにしても、こんな表情をされるようになったのはこ こ一年ほどの話ではあるけれど。 「もうすぐ誕生日じゃん? 何が欲しい?」  部活帰りの、まだ夕飯には早い時間に上がりとなった今日。半ばなし崩し、半ば打算と 妥協で、泉は浜田のアパートに居た。というか、連れてこられた。  市販の、安いお湯で溶けるココアのマグカップを二つ手に携えて、浜田はくるりと振り 返る。そんな、どこぞのコイビト同士かと紛うような、甘ったるい台詞と笑みを発しなが ら。 「お前から何か貰おうなんて思っちゃいない」  心からの本心でそう告げて、しかし大人しくマグカップはひったくる。悲しいかな、経 験上浜田の淹れた(または作った)ものが泉の舌に合わなかったためしはないからだ。  どうして安いと判るか、ってそりゃあ、粉の入っているパッケージの表に堂々と「二割 引」の赤いシールが貼ってあるからだ。しかも、たぶんその下にもシールが貼ってある。 「一割引」の。賞味期限間近なんだろう、いつもけちけちと少ない粉を多すぎるくらいの お湯で溶かす浜田のマグカップの中身でさえ、今日はいつもより濃いようだ。つまり、早 く粉をなくしたいらしい。  ああ、ちなみに粉の量が泉のマグカップの中で変わることはない。ずっと一定量、同じ 濃さだ。 「お? なに、俺の心配してくれるわけ」 「……俺の欲しいもんが浜田に買えるとは思わないだけ」  ちなみになによ? と首を傾げて訊けば、その仕草をした自分より長身の男を半眼でね めつけて、すらすらと大手電化製品会社の名前とポータブルプレーヤーの名前を連結させ て言ってくる。ああ、それは無理だわ。諭吉さん何人要ると思ってんの。 「だからお前からは何も要らない」 「ああ、そ」  そこで“愛”とかは言ってくれないわけね、と口の中で呟いたら、二人が今現在納まっ ている炬燵の中で強烈な蹴りが飛んできた。ガタンと天板が叫んだので、流石に泉もそれ 以上は何もする気はないらしい。小さく息を吹いて慰めに冷ました後、ゆっくりとマグカ ップの端に口を付けている。  しかし、今日はここで引いてはならないわけで。  なぜなら、今の浜田の両肩には、可愛い可愛い西浦高校野球部の切なる願いが圧し掛か っているからだ。  っていうか、どうせなら花井とか栄口とかの方が余程適任だと思うのになぁ、と浜田も カップに口をつけながら思う。だって、泉は色んな面で色んな人に関わっているわけで、 そしてその中で対浜田用として活躍している一面には、誕生日プレセントを言うという機 能は備わっていない。どう考えても。  さて、どうしようか。欲しいものは訊き出せたけれど、どうせあのプレーヤーは野球部 のメンツにだって買えやしない。 「じゃあ、そんなに金の掛かんないもので欲しいのは?」  更に重ねて訊いてきた浜田を、少し物珍しそうな眼で見つめる。普段は、何か質問して きても、答えが得られたと思った時点で、もうその話をぶり返すことはあまりないと知っ ているからだ。泉としては知りたくもなかったが。  んーと、つまり、まだ浜田の欲しい答えは得られていないわけか。 「金の掛かんねぇもん、なぁ……」  なんでこんなことを訊いてくるのだろうな、と思いつつも、一応考えるあたりもうダメ な気がしてこないこともない。これで訊いてきたのが野球部のメンツだったら、この時点 で考えるのを止めて追い払っている。ああ、まあ栄口辺りなら考え続けるかもな、とは思 ったけれど。  ん? 野球部? 「あ、じゃあこないだ発売された冬季限定フ○ン」 「え、あの割高なヤツ?」 「割高、って……それ以上金掛かんないんだったら、俺の小遣いで買うけど」  つまり、小遣いで買うにはちょっと手が出にくい値段ではあるわけだ。けれど、誰かか らもらう分にはちょうどいい。  ぴったりだ、と浜田は心中で頷いた。これを今日中に花井にメールすれば、晴れて任務 完了である。 「なーなー浜田ー!」 「え、どしたの田島」 「すんません浜田さん、あの、ちょっとお願いが」 「花井までー。いいよ、俺でよかったらー」 「やった! ホラ、浜田なら断らねーって言ったじゃん!」 「や、まだ内容聞いてないからね」 「あーっと、あの、泉の欲しいもん訊いてもらえませんか?」 「へ? なんで泉――ああ、誕生日ね! おまえらみんなの祝ってんだって?」 「そう! つか俺んときもやってたでしょー」 「馬鹿、浜田さんバイトで居なかったろーが」 「違う、放課後じゃなくて昼休み! みんなが俺の誕生日の話メールで回してた時に、浜 田からもおめでとう言われたの!」 「ああ、そうだったのか……。ま、なんか習慣みたいになっちゃって」 「うん、いいよー訊いとく。けど、お前らで訊けばよくね?」 「そりゃ、泉に真っ向から訊いてはぐらかされない人って限られてますから」 「ぅお!? 栄口!」 「花井、田島。モモカンがお呼びだよー」 「おー判った。じゃあ浜田さん宜しくお願いしぁす!」 「何の話だろーなー。じゃ、またな浜田!」 「……打順じゃないかな。あ、そうだ。俺からも宜しく、です」 「……栄口こそ適任っぽいのに」 「や、まあ、折角一番適任な人が身近にいるんですし、ね」  いま思えば、栄口の「、ね」には、「この状況を提供できるし」の意が含まれていたよ うな気もしないではない。  窓の外は冷たい風が吹いているけれど、この空間は暖かく、なおかつ足元には炬燵があ って手にはココア。そんな中、泉と二人きり。  別に、珍しい光景というわけではないけれど、忙しさにかまけて、近頃こうしてのんび り過ごすこともなかったのだ、確かに。  そこまでは読まれてないよな、とうっすら変な疑念を抱きつつ、けれど暖かさに小さく 息をついた。まあ、感謝しましょうかね、ありがと野球部のみんな。 「野球部、ね」  と、突然、泉がマグカップから離した唇で零すように呟いた。  あまりにも突然で、しかもタイミングが思考と重なったのもあり、息を飲んだ音も張り 詰めた肩の線も丸解りだ。あーごめんみんな、バレたよ。もうちょっと前振りがあれば、 俺もうまく取り繕えたと思うんだけどなぁ。  しかし泉は、そんな浜田の様子を横目で見やって、にやりと彼特有の笑いを顔に張り付 けると、 「いいぜ、何も知らないことにしとくから」  と言って、またココアに口をつける。 「うん、宜しく」  浜田は苦笑いでそう返した。あえて、愛しそうに細められた目と、その奥の嬉しさには 気づかないふりをしてあげる。隠そうと思ってるかどうかは知らないけれど。 「……なあ、」 「はい?」 「お前は何が欲しいの」  ココアのたゆたう表面を見つめて、そう言う泉の肩は少し前かがみに縮こまっていて、 少し泣きそうになる。 「別に、俺も泉から何か貰おうとは思ってないよ」  嬉しいから。そんな質問一つするのに緊張するだなんて、本当に。 「え、」 「そうでしょ? 泉がそう言ったんだよ」 「だけど、」  眉根を寄せた顔はあまり好きではないので、浜田はまた苦く笑って眉尻を下げる。泉の 手が、キュッとマグの取っ手を握ったのが視界の端に見えたけれど。 「わかった。じゃあ、泉の誕生日に色々終わったらここへおいで」  ふ、と取っ手を握る手から力が抜けて、頬の温度が急上昇したのを、自覚なんかしたく なかったのに。 ※あまーい!  だがしかし、このジャンルに居るからには一度はやらねばと思っておりましたので!   けど、この↑二人の関係の名前は判りません。少なくとも想い合ってはいますけどね。