※08' 05,08(阿部+栄口) 08' 05,09(栄口+花井) 08' 06,08(栄口誕)  これらのご一読をお勧めいたします。繋がってしまいました……。  二人が水谷を止めた理由は判りすぎるほどに判る。  けれど、あそこまで強く止めてしまっては、かえって懸念を抱かせるだけではないか、 と多少怒りのようなものも感じていないではなかった。別に、そこまで頑なに隠したいと は思わないが、それでも知る人をむやみに増やしたくない。  それでも、同じくらいの強さで、二人の気持ちを嬉しくも思う。  だからこそ、彼らのやったことに微塵も気づいていない振りをした。それがかえって不 審を抱かれることになろうとも、もしここで「ありがとう」とでも言ってみろ、それこそ 心配されるだけだと判っている。  いつぞや阿部が言っていた。「いつもなら、気にしてることすら隠し通すだろ」、と。  それは、当たっている。 「なあ、栄口」 「ん?」  掃除当番で、花井と栄口は皆より数分送れて昇降口をくぐった。これから部室へ行って 着替えよう、という段だ。  南中からある程度傾いた日光が、梅雨入り前の足掻きとばかりに白く照りつけている。 「水谷と、あと泉なんだけど」 「……が、どうかしたの?」  水谷といえば、昼休みの出来事が思い出される。けれど、泉には出会ってすらいない。 本鈴の鳴る数分前には、もう七組や九組あたりに自分は居なかった。  その二人を同列に扱うなら、栄口に心当たりはない。 「んー、と、あいつら色々推測立ててるし、多分その推測当たってるけど、いいのか?」  いつになく、真剣な光を目に宿らせて、花井は小さな声を紡ぐ。もちろん、ここに他の 野球部員は居ないのだけれど、なんとなく話題として、声を小さくするべきだと思ったか らだ。  しかし、対する栄口は、小さく小首をかしげる。 「えっと、話が見えないんだけど」  花井は、きょとん、と目を開いたまま一瞬固まったが、ああそうか、と坊主頭に右手を こすりつけて視線をそらした。その手はそのまま、花井は何かを決心したかのように息を つくと、 「あのな、俺も知ってる側の人間なんだよ。栄口の母さんの話」  早口で、目を見据え、迷いを挟まず言い切った。 「そんで、昼休みの……水谷が具体的に何されたかは知らねぇけど、とにかくそれで、あ いつらが色々話してて、」  田島から教科書を取り返して、栄口の誕生日を告げた。そのあと、本鈴を教えようとド ア付近の二人に近づいたとき、聞こえてきたのだ。 「で、その推測が当たってそうだ、ってことね」  やっぱりか、と栄口は嘆息する。  それはそうだろう、あの阿部と篠岡があんな止め方をしたのだ。何かあるだろうな、と 思わないほうがおかしい。しかも、あんなタイミングで。  水谷は、ふよふよと軽く見られるかもしれないが、その実、結構鋭い洞察力を持ってい る。それくらいは判る程度の日々を一緒に過ごした。 「そっか。ありがと、花井。……多分ね、水谷は足を踏まれるとか、袖を引っ張られると か、あとは……どこかをつねられるとか、そんな事をされたんだと思うよ」 「阿部と、篠岡にだよな」  そう。と、栄口は持っているバッグを肩に掛けなおした。 「……あの二人に怒るなよ、栄口」 「怒ってないよ。……迂闊だよな、とは思ってるけどね」  部室には、まだ着替え途中の部員が居るかもしれない。部室棟まであと十数メートルと いうところで、二人はどちらともなく足を止めた。すぐ横を、大手部活のサッカー部員が 通り過ぎていく。 「でも、どうして泉も?」 「さあ……そこは俺に聞かれても判んねぇけど」 「そう。……んー、どうしようかな」  遂に、バッグを地面へ下ろした。結構な重量があるそれは、かえって移動しているとき のほうが重さを感じにくい。 「まあ、誤解されてるわけじゃねぇから、あとは栄口の気持ち次第だろ」 「そう……なんだけどね」  わざわざこちらから念押しのように話すことだろうか。むしろ。 「向こうから聞いてくるのを待とうかな」  うん、そうしよう、と納得した様子の栄口に、花井もそうかと呟いて、それ以上何も言 わなかった。  それにしても、と栄口は苦笑いで零す。 「言われてみれば、そうだよね。花井は主将だし、知らないわけはないか」  副主将である自分でさえ、時折部員のデータを見ることがある。それが主将なら、尚更 のことだろうに、どうしてか栄口は花井には知られていないと思っていた。 「あ、でも、」  しかし、そう思う原因に、今日の昼も出会ったと思い出す。 「花井さ、水谷の言ったことに、「あぁ、そういう見方もあんなぁ」って言ってたよね?」 「お? ああ、言ったけど。初めて聞いた見方だったし、そのままの感想だろ?」  水谷の発言が、不自然に止められていても。栄口の母親の件で、阿部と篠岡が何かしら 水谷に圧力を掛けたのを判っていても。栄口の母親が、この世に居ないことを知っていて も。  それでも、躊躇うことも気遣うこともなく、自分の感想を、ただ言ったのだ。  それが、どれだけ嬉しいか。 「や、そうだけどさ……」 「なんだよ、言わないほうがよかったか? でも、あそこで言わないと、水谷はずっと固 まったままだったろうし……。第一、栄口は気にされてるって態度とられるの嫌じゃねぇ ?」 「っ、……うん。嫌、だね」  まったく、本当に敵わない。  いつぞやの、合宿の時だってそうだった。  三橋が夜に寝れていないようだ、と告げた。そうしたら、それは栄口のほうこそ寝てい ないという意味ではないのか、とばかりに、花井の目には微かに気遣う色が混ざっていた けれど、結局何も言わずに栄口が誤魔化すままに流されてくれた。  ……待てよ。  栄口の思考はアクセルを踏んだかのように加速していく。  大抵、主将――一般的には部長と言ったほうがいいだろうが、彼の事務作業は四月に集 中していたはずだ。ということは、選手データを見た時期だって四月のはず。  つまり、ゴールデンウィーク時点で、花井は既に栄口の家族構成を知っていたのだ。  それでも、何も訊かずにいてくれたのか。 「花井、」 「ん?」 「……ありがとう」  合宿の時には言えなかったありがとうも、今言いたいありがとうも、全部込めた。 「おう」  そして花井は、あの時と同じように、ぽん、と背中を押した。 「なあ、栄口」 「なに?」 「……水谷のさ、母親にありがとう、っての。……いい見方だよな、って言っていいのか 判んねぇけど、俺はいいな、って思うんだ」 「……うん。うん、俺もそう思うよ」 「なあ、栄口」 「なに?」 「……誕生日、おめでとう、な」 「……ありがとう」  涙腺には、限界があった。