まったく、本当に感服する。流石は我らがマネージャー。 「ふうん。じゃあこの間は三橋くんの誕生会にもなったんだ」 「そう。篠岡も来れればよかったねぇ」  水谷がのんびりと請け負った。ここは、中間テスト終了日の午後練に備えて昼食中の7 組である。  外には鳥の鳴き声がまばらに聞こえて、実際、練習さえなかったら今すぐ家に帰って眠 りにつきたいところだ。しかし、ゴールデンウイークからこっち、すっかり野球に浸かっ た高校球児たちは、数日あまり動かしていない体を、早く伸ばしたくて仕方がない。 「で、巣山くんと花井くんも一緒に祝われた、と」 「いや、俺はいいっつったんだけど、」 「おー、まんざらでもなかったくせによく言うな」 「……阿部」  事実だろ、と言わんばかりに、花井の睨みをスルーして、再び弁当を食べ始めた。間違 っていないので、反論できないのがなかなか精神的に辛い。 「ま、とにかく楽しかったよー。今度は篠岡もね」  不穏な空気を吹き飛ばすべく、水谷は彼女に話を振った。こんな風にさりげなく心配り が出来る彼のことを、みんな心中で尊敬しつつ感謝している。  しかし、卵焼きを頬張り、咀嚼し、飲み込むまで時間をかけて、篠岡はぽつりと口を開 く。彼女には珍しく、苦笑つきだ。 「うーん、それはちょっと難しいかな?」 「あー、それもそうか。ごめん」  気にしないでー、と続いたやり取りを、微笑ましく花井は見遣る。が、その横にいた彼 は違ったらしい。 「なんで? 別にいいだろ篠岡が居たって」 「……。もー、阿部はそういうところが抜け落ちてるよ! ねぇ花井?」  なんでこっちに振るかな、とは思ったものの、 「まあ、ちょっと居づらい……だろうな」  律儀に答える辺りはもはや花井のアイデンティティだ。そこを信用している人も数知れ ず。 「居づらい? ……あ、ああ」  ようやっと阿部の回路が作動したようだ。このキャッチャーの頭は時々野球で満杯にな って、他がおろそかになりがちである。  納得した声を出して、篠岡に目線で詫びた。 「気にしないでってばー」  ひらひらと眼前で手を振って、彼女は弁当へ意識を戻す。 「あ、誕生日といえば、」  しかし、わずかに続いた沈黙を破ったのもまた彼女であった。 「ん? 部員でまだ誰かもう誕生日過ぎてた人居た?」 「ううん、そうじゃなくて」  確かあの時は西浦野球部員が勢揃いしていて、五月下旬の今、祝われていない人間はい ないはずなのだが。 「あのね、」  彼女のデータベースから出てきたのは、ある意味驚きの人物名だった。 「うわぁ……」 「盲点、だったな」  人選というのはとても大切だ。  昼ご飯を食べ終えて、これから部活に励むべく着替えている。その部室の中で、花井は とにかく七組以外で始めの相談相手にこの二人を選んだ。言うまでもないが、この人選は 正しい。 「正直誕生日とかどうでもいいんだけどさ。三橋をああやって祝うと、なんか感慨みたい なモンがあるよな」 「まず間違いなく、田島が慣習化させるだろ」  着替える手を止めず、泉の言に阿部が追加する。その予測は後に真実となるのだが、ま だそれを知ることはない。 「っていうかさ、その人が問題じゃない? この場合……」  多少おざなりでも脱いだシャツを畳みながら、栄口が呟く。 「そうなんだよなー。けど、いくら一ヶ月近く遅れたからってさ、スルーするのはなんつ ーか、」 「こう……信念に反するっていうか、自分の心情的にありえないっていうかね」  花井の同意を助けた栄口も、長くため息をついた。  かと言って、一体どうやって切り出したものか。完全に遅れている上に、プレゼントも なにもなしとは。格好がつかないばかりか、どこか間抜けですらある。 「いーじゃん! 祝えば」 「田島!? おまっ、先に行ったんじゃ……」  思わぬ闖入者に、ぎょっとした声を上げて、花井が押し潰された。 「あー、こいつ、ちょっと先生に呼ばれてたんだよ。言ってなかったっけ?」  しれっと同じクラスの泉が解説を加えて、同時に花井にのしかかっている田島を引き剥 がしにかかった。普段から保護者をやっているだけあって、なかなかその扱いも手慣れて いる。 「言われてねえけど、今来たからまあ……。んで? なんだって?」 「だから、祝っちゃえばいいじゃん。もう遅れてんだから、思い付いたその日に言った方 がいいよ」  確かに正論だった。けれど。 「プ、プレゼント、は?」  泉と一緒に来て、しかしまだアンダーを着たところの三橋も参加する。ちなみに、泉は たった今ベルトのバックルを調えたところだ。この差はいったいどこから、と普段阿部が 口出ししたくなるのも理解できる。 「プレゼント? ……んー?」  ここへきて、田島の口も止まった。というか唸りを発し始めた。  同学年の女の子にさえ何を贈ったらいいのか判らないのに、自分たちで年上で、しかも 普段あんな指導を受けている身としては、本当に何をあげればいいのか。 「……もう、こうなったら直接モモカンに訊いたほうが早くない?」 「それに主将さん。練習開始まで時間あんまないけど?」  考えることに音を上げた水谷に口添えるかたちで、副主将である栄口が提言する。その 指摘が至極もっともなものだったので、彼らは慌てて部室を飛び出した。  その日の練習中や休憩中に、話はあっという間に野球部員全員の知るところとなった。 篠岡が、休んでいる部員にスポーツドリンクを振舞う際に広めていったと言った方が正し いか。  そして、日が落ちて時計の針が一周ほどしたところで、今日の練習はお開きになった。 「よし、じゃあ今日はここまで!」 「あっしたー!」  百枝の景気のいい掛け声に、条件反射で決まり文句を叫んでから、花井はふと我に返っ た。そうだ、今日はここで解散にしてはいけない。 「あの、監督!」 「な、何?」  いつにない雰囲気の花井と、解散が掛かったのに一向にばらけない部員たちを見て、さ すがに不審に思ったのだろう。少し気圧されつつ、百枝はみんなの方へ向き直った。 「どうしたの?」 「篠岡から聞いたんですけど、監督、誕生日が四月十八日だって聞いて。大分遅れました けど、」  いったん言葉を切り、せーの、の掛け声が掛かる。 「「おめでとうございました!!」」  いかに百枝とはいえ、状況が飲み込めていないようで、数瞬の間が空いた。が、すぐに、 「ありがとう!」  笑顔で発したとしか思えない、明るく夜空へ抜けていく声が部員へ降ってきた。その声 が聞けただけで、やはり言ってよかった、とみんなも微笑んでしまうくらいの。そういう ときの彼女の顔は、ある意味で年相応に戻るのだ。 「で、プレゼントとか、なにもないんですけど……」  言葉尻が小さくなった花井に、しかし彼女は笑いかける。 「いいよぉ、そんなもの! もう過ぎちゃってたし、祝ってもらえただけで充分! にし ても、千代ちゃんよく覚えてるねー」 「もう癖みたいなものなんです。すみません、私も思い出したの今日だったんで……」  百枝はもう一度気にしないでと言って、ぐるっと部員たちを見回した。  ゴールデンウィークを過ぎて、練習試合もいくつかやった。危機だった中間試験も今日 で終わり。西広や花井に聞いたところでは、赤点が気になるところでもあるが、おそらく 大丈夫だろう、とのこと。……ああ、予想以上に順調で、やらなければならない課題が山 積みだ。 「そうね、じゃあプレゼントおねだりしてもいい?」 「なんですか?」  意外だ、とでも言うように栄口が目を見開いたのが暗がりでもわかる。  ふふ、と不適に微笑んで、 「私を、ひとつでも多く、球場のベンチに監督として座らせて」  もちろん大会でね、と言い添えた。 「……うっわー」 「さすが監督、言うことがまた……」 「言われるまでもねぇっすけど」 「つか、それプレゼントですか?」  次々と浴びせられる、感想とも呆れとも取れるような言葉たちを、言った皆も、聞いた 当人も楽しそうだ。 「ええ? ちゃんとプレゼントだよ? ねぇ千代ちゃん」 「そうですね、判りますよー」  しかし、状況を読めない人も居るわけで。 「え? なになに、どういうこと?」 「だからね、モモカンは、大会で一つでも多く勝てって言ってんの」 「っていうより、負けるな、だろ」 「ま、負ける、な」 「そうそう。それがプレゼントなんだって」 「つまり、頑張れってことだよ」    全員が見上げた夜空に、きっとすぐに来るであろう夏の空気を見る。    ※七組に愛が偏っていてすみません。     あと、ラストで全員に喋らせてみました……だから何ってことはないんですが。