夜、明日もあるしそろそろ寝るか、とシャワーを浴びてベッドルームへ向かうと、ベッ ドサイドで充電中の携帯がガタガタ振動していた。当初はぎょっとしていたバイブレータ にも流石に慣れて、とりあえずうるさいのでサイドボードから持ち上げる。  すると途端におとなしくなったが、それは同時にバイブレータの鳴動が止んだからでも あった。メールだ。 「んっと、日本とカナダと……お、ジリーからも」  ぺこぺことボタンを押して、受信メールを辿っていく。プロイセンの名は、登録してあ る人名の愛称で呼んで、けれどそれに違和感は覚えないまま。 「……」  他の国々は、きっと後々メールをくれたりくれなかったりするのだろう。別に祝われる 側もいまいち実感の湧かないままなので、それで構わないと思う。  欲しい人からのメールは来ないけれど、これもくれたりくれなかったり色々だし。 「っと、」  気付くと日付を回ってしばらく経っている。せっかく明日のために早くシャワーも浴び たのに、これでは本末転倒である。  フランスはベッドに潜ると、眠りのために目を閉じた。  正直、毎年毎年思うのだが、果たして自分が行く必要はあるのだろうか。いや、各階の お偉方が参列する以上、そして曲がりなりにも自分の誕生日である以上、出席しないとい う選択肢はないのだが。  それよりは余程、街中に潜り込んでワインを飲みながら今日を祝いたいものである。  昔は、国民に対してバルコニーから一言、なんてこともしていた(どちらかというとそ ういうことをするのは戦時中の方が多い)。けれど、それは大体の国民が自分の顔と役割 を知っていたからこそスピーチにも意味が出たのであって。  この時代になると、自分が本当に何なのかを知る人と言えば、上司や部下のように国政 に関する人々と、自宅の周りに住む隣人たちくらいなものだ。  別に素性を隠すつもりはないが(明かしたところで、信じるかどうかは人それぞれであ ることだし)、不必要に知る人を増やすとなかなか身動きが取りづらくなる。行き付けの バーでぐだぐだになるまで飲んでいるところを邪魔されたくはない、ということだ。  あと、あいつとデートしてるときとかね、と半分無意識に思考を流していたら、ちょう ど大統領の演説が終わったところだった。次は首相だ。  大丈夫、さすがに一昨年のような盛大さではないから、貴賓席回りもそこまで大変では ないだろう。あれは凄かった。今年の軍隊パレードもさぞかし見ごたえのあるものになる に違いない。  そして、夜は花火だ。  毎年、フランスはこの花火を民衆に紛れて見ることにしている。当時の自分はとても起 き上がれるような体調ではなかったが、というか起き上がってもまた倒れるという状態が トータルで40年かそこらは続いたが、それでも革命は国民達が起こしたことだ。そのよ うな訳で、その証を国民達と見たい、とこの日を祝うようになった当初から思い、実行し ていた。もちろん、主要国政陣も国民ではあるけれど。  去年も同じ事を頼んだのを覚えていたのだろう、首相の側近が「こちらのことはもうよ い、だそうですよ」と耳打ちしてくれたのが丁度日没の22時近くだった。  今年の花火は特に凄い。この時間からなら、花火開始の22時45分には間に合うだろ う。  これから片付けをする人々にできる限りねぎらいの言葉を掛けて、そして会場を後にす る。誰だあの人、なんて顔をする人も中には居たが、大抵の人が「Bon Anniversaire!」 と再度祝いの言葉を掛けてくれた。今日で言い飽きただろうに、それでも笑顔は変わらな いままだった。これでは余程国民の方が立派だな、と苦笑しつつ、煌びやかなシャンゼリ ゼ通りを後にする。  夜の賑わうパリを歩く。今日盛り上がらないでいつ盛り上がる、といった具合に、まだ まだ夜もこれからなことだし、各店、個人宅でも沢山の人が思い思いに時を過していた。  まったく、歩ける距離に自宅があるのだから便利なものだ。もちろん本宅とは違って、 行事や朝一の用事があるときに泊まるアパルトマンだが。そして何より、今日のこれから を思えば、まさにロケーションは最高と言えた。まあ、自分の性格を鑑みると、多分地上 に降りて見るのだろう。  と、足取りも軽くアパルトマンへ向かう、と。 「ん?」  階段の目の前に人影が見える。それも、不審人物ではなく、良く見知った影だ。 「アンヌ!?」  それは少し行った角にある、馴染みのワイン小売の顔だった。二十年前はすらっとした 美人だったが、今では気のいいおばさん、といった風体である。 「どうしたんだ? もう少しで花火始まるけど。アンヌの店からの方が良く見えるんじゃ ない?」 「違うわよフランソワ。ちゃんとしたお仕事なの」  ちょっとうちまで来てくれない? 貴方に渡さなきゃいけないものがあるのよ、とにっ こり笑って返された。……不審だとも言えるし、不審ではないとも言えた。  長年、それこそ彼女の何世代も前からここに住んでいる。小さい頃の彼女も知っている し、だから彼女自身の信用はあるのだ。どういう人柄かも判っているし、彼女そう言うな らそれも信じられなくはない。  だが、同じように、長年住んでいるからこそ分かる不自然さというものもある。なんと なく、これは何か企んでいるときの彼女だ、と直感的に思った。  とはいえ、曲がりなりにも女性のお誘いである。とにかく、急いで部屋に戻って礼服を 脱ぎ、普段着になって階段を下りる。少し胡乱げな雰囲気を隠さず歩み寄っても、アンヌ は動じず、行きましょうかと本当に歩き出した。それくらいは簡単に許される間柄だ。 「で、それはアンヌからの贈り物なの?」  彼女は、自分がフランソワと呼んだモノの素性を知ってはいるけれど、自分の親兄弟も そうして接してきているのを見ているから、下手に物怖じしたりはしない。まあ、フラン スの普段の生活から言えば、物怖じなどする人間も少ないのだが。  いつまで経っても人の名前をフランス語読みで呼ぶ彼女に、もう訂正する気はないまま 数十年が経っている。歩きながらそんなことを思うなんて、やはり今日は何かの節目なの だろうか。 「そうね、そうとも言えるし、違うとも言える、かしら。敢えて言うなら、私はお遣いみ たいなものよ」 「お遣い、ねえ。まあ、お呼ばれしましたからお供しましょう」  彼女の店へ行くまでにも、沢山の人たちとすれ違う。いつもは寝ている子供も、今日ば かりはそんな場合ではないとばかりに大人の間を駆け回っていた。 「ちなみに、今日のワインは?」 「ふふ、内緒よ。どちらにせよ、フランソワ相手じゃ下手なワインは出せないものね。年 に一度の日でもあるし」  下手なワインでもおいしく飲めるように工夫するのも楽しいものだが、と思いはするけ れど。そこはさすがにワインを生業としている者のプライドというものだろう。 「さあ、着いたわ。驚かないでね、フランソワ」 「え、」  驚くようなものなのか、と一瞬引いたが、もうすでに店の扉は開け放たれていた。そし て、店の中には。 「……なん、で」 「あー、……こちらのご婦人がな、」 「やぁだ、アンヌでいいわよ、ムシュー・アングルテール」  それとも、サー・イングランドとお呼びしたほうがいいかしら。いや、貴女のお好きに どうぞ、マダム。  流暢なフランス語を操り、女性を目の前にした時の顔をして応答するその男が、見覚え どころか軽く千年以上の旧知だと判って、息を飲むだけでは飽き足らずそのまま呼吸が止 まった。  そんなフランスに気付いて、イギリスと呼ばれ、またイギリスそのものである彼は解説 を再開する。 「いや、あの、……今日は、明日がオフになったことだし、お前の家に押し掛けるつもり でさ。けど、まさか今日のこの日に何の手土産もなしは有り得ないな、と思って」 「それで、うちへワインを見にいらしたのよ。前にも貴方と来たことあるじゃない、彼。 だからお引き留めして、いっそ貴方も引きつれてここで飲もう、ということにしたの」  素晴らしいでしょ、と彼女が綺麗に笑った。この笑い方だけは、何十年経っても変わら ないな、と目を細めて、 「お遣いの意味が分かったよ、アンヌ。つまり贈り物は代金こいつ持ちの高級ワイン、っ てことでいいのかな?」  と、軽く彼女の肩に腕を回しながら言うと、アンヌはくるりと体を回してフランスの腕 から逃れ、 「何言ってるの、“最”高級よ!」  ちょっとあなた、あのシャトーのワインまだあったわよね!?  叫ぶようにはしゃいで、あっという間に店の奥に引っ込んだ彼女を、ぽかんと呆気に取 られて見送ると、そこには本日の主役とその腐れ縁が取り残される形になった。 「……っていうかイギリス、お前上司は?」 「ああ、それなら平気だ。そもそも、これに呼ばれてるのは上司だけで、俺は必須じゃな いからな」 「まぁね。でも、来てくれたんだ」 「そ、それは、……エッフェル塔の120周年を祝いにだな、」 「うん、ありがと」  なんでもいい。それは確かに理由の一つだとは思うけれど、でも、それは建前でも構わ ない。  会いたい人が、メールの欲しかった人が、手を伸ばしたら頬に触れる近さに居る。 「フランソワ、コルク開けてちょうだいな」  結局、そういうことなのだ。  それだけで、あの苦しかった日々が、悩んだ国民が、惑った王が、収まるところへ収ま っていって、きっとそれは、オープナーを握る手が今にも歌いだしそうなくらいに。  と、 「始まったぞ!」 「おーい、早く出て来いよ、」 「今年は凄いぞ!」  一気に通りの方が騒がしくなって、腕時計を見れば22時45分。  それまで店の中に居た人や、通りをただ歩いていた人たちが、一斉に同じ方向を見る。  手にはワイン、素敵な国民、綺麗な夜空、傍らには腐れ縁。 「エッフェルから花火、か……無茶するよなぁ」 「お前もビッグベンから打ち上げればいいんじゃないの?」 「……それは違うと思うぞ……」    ドォン、と夜空を揺るがす大音響が届くまであと一秒。 「……」  突然、くい、と袖を引かれて、危うく手にしたワイングラスを取り落としそうになった けれど。 「……Bon Anniversaire,mon cher」  なんて目尻を染めて言うものだから。  周りの人間の目が咲いては消える花火にくぎ付けなのを確認すると、耳元に唇を寄せて、 「Merci beaucoup,」  とキスする勢いで呟いた。 ※申し訳ありません。なんかもう愛が調べ物の手を暴走させました。  ・ ジリー=“ギルベルト”の愛称。フランス語読みは“ジルベルト”。  ・ 一昨年の7月14日=現大統領の就任後初=軍事パレードにヨーロッパ連合の全2    7加盟国の軍隊が初めて勢ぞろい(!!)  ・ フランス革命=バスティーユ襲撃の以前・以降も続いていく。  ・ 日没=21時51分(!! 遅っ!)  ・ アパルトマン=アパート。(拙宅設定の国々は大抵市内に簡易住宅、郊外に一軒家    持ち(といっても、欧州の市内アパートは日本のそれとは大分違う))  ・ フランソワ=フランシスのフランス語読み(フランシスは英語読み)  ・ エッフェル塔=パリ万博の際建設された。今年(2009)で120歳。現地時間    の22時45分より花火が打ち上げられる(エッフェル塔からも) 【ソース】hを付けてどうぞ。 ttp://www.ambafrance-jp.org/article.php3?id_article=464(在日フランス大使館HP) ttp://www.antennefrance.com/humains/%e3%83%95%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%b9%e9%9d%a9%e5%91%bd%e8%a8%98%e5%bf%b5%e6%97%a5-2/(アンテンヌフランス(フランス情報HP)) ttp://www.antennefrance.com/arts/%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%A1%94120%E6%AD%B3%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%81%AE%E8%8A%B1%E7%81%AB/(同上)