ジー、と無機質なチャイムの音が鳴って、はいはい、と誰が聞くわけでもなく返事をし ながら玄関へ向かう。特に確認もせず、がちゃ、とドアを開けて、 「はえ!?」  口から出た第一声は、少なくとも目の前に居るこの国に褒められるものではなかった。 「よお」 「イ、イギリス……さん……?」 「悪いな、近くまで来る用事があったから、ちょっと寄ってみた」  アポイントメントなしの訪問など滅多に、それこそ百年単位で滅多にしない人だから、 たいそうカナダは驚いた。第一、なんというか、そうだ。 「どうして、僕がオタワの方のアパートに居るって知ってるんですか? いつもは僕、ト ロントに居るのに」 「は? どうして、って、お前明日は首都の方で仕事だろう? じゃあ、今日はこっちの 家に帰ってるな、と想像くらいつく」 「明日……、」  そう、明日。鷹揚に頷いて、それでもカナダが招き入れないので玄関の敷居の外で待っ ている。もし仕事の機密書類なんかがリビングにでもあったら大変だ。もう、この二国間 はそういった関係ではなくなって久しい。と言っても、まだたったの80年弱しか経って いないのだが。  ようやっと、そんなイギリスの態度に気付いて、カナダは自らの体を壁にピタリとつけ た。決して広いとは言い難い廊下に、人一人が通れるスペースが空く。 「ごめんなさい、どうぞ」 「良かった、入れてもらえないかと思った」  それでも元家族の気さくさで、スーツの上着をするりと脱ぐと、同時にネクタイにも指 を掛けて左右にずらす。首とネクタイの間に出来た隙間にもう一度指を差し入れて、ワイ シャツの第一ボタンをはずした。  カナダの、年に百日使うか使わないかというこの部屋にも、それなりに思い出が詰まっ ている。イギリスはソファに浅く腰かけると、そのまま背もたれに寄り掛かった。 「疲れてますね」 「ああ……。まあ、いつの世も俺らはそれなりに忙しいがな」 「そりゃそうですけど」  用事ってアメリカですか? ああ、まあ。あいつには会ってねえけど。ちょっと上司が な……、ったく、あんな大事な案件、もっと早くに先方に渡しときゃ良かったんだ。  こんな風に色々な国のことを話せるようになると、数百年前には思えなかったものだけ れど。時間は確実に流れているのだ、と隣に座る男に笑い飛ばされそうなことを考えた。 生きてきた、存在してきた時間が違う。もちろん、もう一人の育ての親にも笑われるだろ う。 「すみません、あまりこっちの家には居ないんで、こんな茶葉しかなかったんですけど」  そこら辺のスーパーで安く手に入るものしか置いていなかった。そもそも、アメリカの 影響をそこそこ受けた身としては、どちらかというとコーヒーの方が馴染みが深かったり もする。フランスもカフェオレの発祥地であることだし。  普段からいいものを飲み慣れているイギリスにとっては物足りないだろうな、と思いつ つ、彼の目の前にソーサーとカップを置く。自分用には手抜きでソーサーは持ってこなか ったけれど、まあ咎めたりはしないだろう。  そんなことより、もっと大切なことのために、彼は今ここに居る。 「いや、……まあ、飲めなくはねえから」  それは、どちらかというと不味いということではなかろうか。 「すみません」 「いいや、」  お互いに視線を合わせて小さく笑ったその後、ふっと会話が途切れた。別に痛くも気ま ずくもない沈黙だったけれど、それでもやはり不自然だった。  そもそも、こんな日にイギリスがここに居ること自体、かなりイレギュラーではある。  だって、明日は。 「……あの、な」 「はい」 「た、誕生日だろ、明日」  つっかえながら一生懸命紅茶のカップを凝視して言葉を紡ぐ様は、本当に人間とそっく りで、外見年齢よりも幼く見える始末だった。思わず、口の端から笑いが漏れる。 「そうです。British North America Actsの日ですね」 「英領北アメリカ法、な」  もう100年以上も経つのか、と零すように呟いて、熱い紅茶に口をつける。家庭で飲 むならミルクティーが主流の国だから、ミルクも一応目の前に置いてあるけれど、それに は手を触れなかった。 「まあ、誕生日っつっても、お前にとっちゃ1931の方がそれらしいかもしれねえな」 「ウェストミンスターですか。……うーん、でもやっぱり、どちらの日も誕生日って言わ れてもそんなに実感湧きませんね。他の国たちもそうだと思いますけど」  だって、僕はフランスさんのお世話になってた頃から名前はありましたし。 「ああ、髭のなぁ……」 「ちょっと、イギリスさん、そこで止めないで下さいよ」  本当に遠い眼をしてそんなことを言うものだから、カナダは笑いそうになるのを堪える のに必死だった。腹筋が引きつって、でももう顔は笑ってしまっているから耐えることに 意味があるのかは判らない。 「でも、お前のこの髪はあいつにそっくりだな」  不用意にカナダの髪に手を伸ばして、耳の横にある一房をするりと撫でては繰り返す。 独立してからこのかたそんなことをされていなかったカナダは大層驚いたけれど。  自分を優しく見つめるその眼が、これまで自分の辿ってきた道筋をなぞっていると判っ たから。  生まれて、フランス領になって、イギリス領になって。兄弟の影響も受けつつ、それで もゆっくりしっかりここまで歩いてきた。  その中の、一つの区切りのあった日が、今日。 「誕生日、おめでとう」 「……はい。ありがとうございます」  今は対等の、それでも大きいその人に祝われる。そのことにどれだけの意味があるかな んて、自分たちだけが知っていればいい。 「ようやく言って下さいましたね」 「こ、この時期は体調悪くなるんだよ」 「ええ、分かってます。さあ、僕に言えたんですから、次はアメr」 「さーてもうそろそろ帰る時間だな」 「ちょ、イギリスさん!?」 ※カナダさん、7月1日おめでとうございます。  ちなみに、多分1970とか80年代くらいの話ではないかと。で、この間ようやくア  メリカに誕生日プレゼントを渡せたという……流れだったらいいな……。