「……ふー、」 「疲れたか、坊ちゃん?」  ばか、お前だって疲れたって顔に出てんぞ。  そりゃね。っていうか、ここに居るの、俺とアーサーだけじゃん? 取り繕うのも馬鹿 らしい。  そりゃそうだ、と品の良いアイリスの柄が隅に散ったソファに深く身をうずめる。すぐ さま、何か飲む? と質問が飛んできた。お前の好きなもんで良いよ、と投げやりに聞こ えないように告げると、少し驚いたように笑う。 「第一、疲れたっつっても、2004年ほどじゃねぇし」  ご多分に漏れず、二人分のカフェオレボウルを持ってきたフランシスは、溜め息交じり のアーサーの言に、そうねー、と鷹揚に頷いた。 「あん時は式典――や、祭典続きで疲れたというか、もう最後の方は」 「お互い口利くのも嫌になってたよな」 「んー、アーサーとは別に話しててもよかったけど、高官とかご婦人方とかは、流石にち ょっと食傷ぎみだったかも?」  こいつが婦人に食傷とは。5年前には聞かなかった本音を、今になって垣間見る。それ は、この洒脱で芸術と愛を愛でる男にとって異常事態と言ってもいい。それだけ、たくさ ん祝われたということなので、まぁ、喜ばしくはあるのだが。  ちょっと詰めて、と言われ、アーサーはだらりと座っていたソファから少し身を浮かし て、二人掛けのそれにフランスたるこの男が座れるスペースを創りだした。そもそも、フ ランシス以外の前で、こんなだらけた座り方もしない。いや、小さいイングランドだった 時代を知っている国の前なら、多少気も抜くか。例えば、スペインとか。 「はい。熱くはないと思うけど、気を付けてね」 「ん、」  今まで何回聞いた台詞だろう、とアーサーはいっそ呆れる。いったい年に何回同じ食卓 を囲んで、そのうちの何回がこの男の手作りで、そして何回この台詞を聞かされているの だろうか。  フランシスとアーサーが会ってからということになれば、それはもう千や二千では利か ないだろう。それだけ、同じ時を生きてきた。 「ま、一緒に歩き始めてからまだ105年だなんて笑えるけどな」  唐突に、フランシスが呟く。 「会ってから、協商結ぶまでが長すぎんだよなぁ」  カフェオレボウルを両手で包んで、湯気に煙る表情は少しだけ笑っていたけれど、声が 少しだけ掠れていた。 「……そりゃあ、色々“あった”からだろ」 「色々“した”しね」  ソファで隣に座ってから、二人は初めて視線を合わせた。若い、まるで外見が実年齢か のような笑みを互いに交わして、そのまま吸い寄せられるようにキスをした。  仄かに苦くて確かに甘い、コーヒーの味がした。 「今日頑張ったから、ってうちの上司は明日をferméにしてくれたんだけど」  アーティーのところは? 「……もし明日なんかあったら、まず今日ここに泊まりに来ない」  勤勉なイギリス人がそう答えるのを、分かっていて、それでもフランシスは目を細めて それを聞く。二人とも、もう判り切っていることだけれど、毎回お決まりのように確かめ る。  翌朝、隣に誰もいない日々を、嫌というほど知っている。  ただ、隣でカフェオレを飲んで、並べてスーツを吊って、交替でシャワーを浴びて、そ れから隣に寄り添って目を閉じる幸せが、無償で手に入ったものではないからこそ。 「……Thank you for your mind」  105年前、差し出した手を互いに繋いだ。 「Dans cette place」  その手は、今も振りほどかれず、ここにある。  目と目で小さく笑うと、二人が収まるにはほんの少し狭いソファの隣同士で、少し冷め たカフェオレを飲んだ。 ※英仏協商105年おめでとうございます(4月8日。遅れた)(というか今日イースタ  ーですね)  Thank you for your mind.=心を有難う。(直訳過ぎる(笑))  Dans cette place.=こちらこそ。  BGM:3月9日 by レミオロメン