たまに、本当にたまにだけれど。  この人を、可愛く思うことがある。  実際そんなことを言ったら、殴られるか、ものすごく理不尽な願いを聞き届けなくては ならなくなるから、口に出したりはしない。でも、こんな場面に直面したら、そう思うの も不可抗力のうちだ。  そうでしょう? とアレンは心の中で呟いた。 「……師匠。僕がいること、判ってるのにごまかさなくていいんですか?」 「ちょうど、お前が俺に気付いた時、俺も気付いたんだよ」  つまり、もう見られてしまったのなら、ごまかせないことを悟った、と。  そして、どうする気もないから、これからここに居てもいい。 「ややこしいですねー……」  あ? と機嫌が悪いかのように挙げられた疑問でも、付き合いが年単位に及んでいるア レンには全く問題にならない。本当に機嫌が悪いわけではなくて、「何がだ?」という単 純な質問が、平仮名一文字に収まってしまっているだけなのだ。  第一、エクソシストにとって、他の団員が思わず一礼するような立場の”元帥”は酷く 身近な存在だ。直属の上司であり、師匠であり、時によっては家族でもある。 「何でも。僕もだいぶ師匠との付き合いが長くなってきたなー、ということで」  別に間違ってはいない。ある程度の年数を重ねていないと、この人とまともに会話する のは難しいだろう。まあ、女性相手なら、師匠の方が愛好を崩すからまだマシといえばマ シか。  というか、弟子にこんな分析をされていていいのだろうか。こんなシステムにしなけれ ば、元帥という立場ももっと威厳のあるものになるのだろうなあ、とアレンは日差しの出 てきた空を仰ぐ。 「何をほざいてるんだ、バカ弟子が。それよりお前、監視のおかっぱはどうした」 「あー……。まあ、深く聞いてもらったところで師匠の利益になることは何もありません し」  にっこり笑ったアレンに、クロスもフン、と笑って応えた。それだけだけれど。 「そういえば、師匠だって何人かお目付け役が居ませんでしたっけ?」 「知ったことか」  これは、師匠にむりやりアルコール度数の高い酒を流し込まれて潰されたに違いない。 合掌。  はあ、と白髪の少年が深く溜め息を零したところで、赤ワインと血を混ぜたような赤い 髪の持ち主は痛くも痒くもない。 「まったく、後でどんなお咎めがあっても知りませんよ?」 「それはお前もだろう」  教団の裏手にある庭は、このまま突っ切って森に入れば鍛錬場がある。そもそもアレン は、そこへ行こうかと思っていた。このところ、色々な人に付きまとわれて(もちろんそ れにはあの影も入っている)いい加減体がなまっている。 「さてと、それじゃあ僕はそろそろ行きますね」 「鍛錬場か」 「はい。師匠を見かけたので、もしよければ修行に付き合ってもらおうかと思いましたけ ど」  クロスのあぐらの中でうずくまっている、小さな命を右手で撫でた。 「今の状態じゃ無理ですもんね」  好きでこうなったわけじゃない、と言わんばかりの視線を感じたけれど、そんなことは 初めから判っている。おおかた、庭に座ってぼんやりしていたか何かを考えているうちに 、擦り寄られてなし崩しに膝の上へ上げたのだろう。この人も猫のように気まぐれなのだ。 「お腹空いてそうですね、この仔猫」  しかも、それまで吸っていた煙草は土の上で捩じ消して。クロスの右手元に、まだまだ 長い煙草がぐしゃぐしゃになって放置されている。色々なものの倫理や道徳を、知ったこ とかと踏みつけていくくせに、仔猫のために副流煙を気にする人間性はしっかりあるあた り、やはり腐っても聖職者か。 「アレン」  突然名前を呼ばれて、仔猫をじゃらしていた手を止める。 「いいタイミングでいいものが来た」 「……?」  クロスの視線の先、鍛錬場のほうを振り向いて、ああ、とアレンは納得する。確かに、 これ以上の人選もないだろう。生き物を邪険に扱ったりしない人種だ。 「あ、師匠。向こうには、いいタイミングで悪いものが」 「あ?」  クロスのほうも、アレンの見る先、教団の回廊を見遣る。ばたばたと石の廊下を打ちつ けているたくさんの革靴の音が迫ってくるのを聞いた。 「面倒くせぇな」 「まあまあ、そう言わずに。――神田! 鍛錬お疲れ様です。突然ですけど、これどうぞ !」 「ああ? 何を――」 「ちゃんと医務室まで運べよ」  森の方から歩いてきた黒髪パッツン日本男児に、ひょいっと小さな丸い仔猫を預けると、 「お待ちください、元帥!」 「アレン・ウォーカー! いつの間に……!」  などと喚く声から、瞬く間に逃げていった。  状況は飲み込めても。 「……似たもの師弟め……」  どうしたって、とばっちり感は拭えない神田ユウ十八歳であった。